カードキャプチャーさくら〜黒衣の花嫁〜
第10話    【五大力と御神刀】




【五大力と御神刀】


 柔らかな日差しの中、クロウ・リードの屋敷のテラスで過ごすひと時。
 お茶を飲みながらさくらと小狼は何も語らず、ただ黙っていた。
 相手が傍にいるだけで良かった。

「さくらちゃん・・・」

 振り向くと、知世が立っていた。

「ごめんなさい、わたしのせいで・・・」

 知世は、さくらの拉致に道具として使われた自分が許せなかった。
 が、しかし、さくらは笑顔で首を横に振る。

<もういいんだよ、知世ちゃん。わたしはだいじょうぶだから>

 云わずとも、それだけで知世に伝わった。
 知世も、芙蓉から全てを聞いたのだろう。
 それ以上は何も云わなかった。

「知世ちゃんもお茶飲む?」

 いつも通りのさくらの笑顔。
 知世は、ほっとして、

「ええ、いただきますわ」

 さくらの横に座った。



 思い出したように、小狼がクロウカードを出した。

「これ、さくらが持っていろよ」

「空[スペイシー]・・・ですか」

「何するカードなのかな」

 テーブルに置かれたクロウカードを、さくらと知世はじっと見ていた。
 カードは、両手を前に差し出した女性があった。

「空間を切った。それで逃げることができた」

「いつでもどこでも移動できるのでしょうか。それは便利なカードですわね」

 知世の云い方には、お手軽というニュアンスがあった。

「いや、これは火[ファイアリー]と同じ高位カードだ」

「ほえ?」

 火[ファイアリー]、水[ウオーテイ]、風[ウインディ]、地[アーシー]を四大元素といい、さくらカードの中では高位に位置する。

「四大元素は、四大力ともいう。これは西洋では昔からある考えだ。四大天使なんかがそうだな」

 天使の中でも最高位に位置する4人の熾天使(セラフィム)。
 ミカエルは火の属性を持ち、ガブリエルは水、ラファエルは風で、ウリエルは地の属性を持つといわれている。  

「これが北欧だと、精霊なんだな。サラマンダーは火の精、ウインディーネは水の精、シルフは風の精で、ノームは地の精となる」

「面白いね」

 この宇宙は火、水、風、地で成っているという考え。
 それが四大元素または四大力という考え方になっている。
 それは、天使と精霊という違いはあるが、ともに同じ4つの力である。

「これがインドにいくと、地水風火空の五大力になるんだ」

「へぇ」

「空ってなんでしょう」

 さて、どう説明したものか、小狼は腕を組んだ。
 インドの思想は説明が難しい。

「五大力の空は、地水風火を自在に組み合わせる力があるという」

 小狼は、咀嚼するかのように、ゆっくりと話す。

「クロウカードにおける四大元素のカードは、それ1枚だけで大きな力だ。
東洋と西洋の比較なんだけど、東洋は割りと組み合わせを重視する」

 唯一神と多神の点から見ても興味深いテーマではあると、小狼は補足した。

「空とは、四大元素の力を現す空間、または力場といえる。それを、力の1つと古代インドの人たちは考えたんだろう」

 わかったような、わからないような、さくらと知世はそんな顔をしていた。

「クロウは世界各地の魔法の研究もしていたと、ケルベロスが云っていた。
だから、インドの思想を取り入れることがあっても不思議じゃない」

「じゃあ、なぜ最初からクロウカードに空[スペイシー]が入っていなかったの?」

「それがわからないんだよな。せっかく創ったカードなのに」

 小狼も首を捻らずにはいられなかった。

「五大力は相当な力だ。創ったものの、あまりの力に必要がないと判断したのか・・・」

「クロウさん、何をする気だったのかな」

 クロウの記憶を引き継いだエリオルに訊いても応えてくれない気がした。

「何を考え込んでいるのかしら」

 3人で考えているところに、芙蓉が小龍を抱いてやって来た。

「昨夜、招かざる客、セイレーンのミユウが来たわよ。七星剣で追い払ったけどね」

 小龍をあやしながら芙蓉はテーブルに着いた。

「リチャード・王は慎重な性格だから、まあ自ら来るとは思わなかったけど」

 だろうな、と思いつつ小狼が応じた。

「芙蓉さんが、七星剣を使ったのですか」

 知世が訊いた。
 今や七星剣は小龍の所有となっているはずだ。

「さくらちゃんと小狼の、ふたりの夜を邪魔されたくなかったからね、小龍にも手伝ってもらったの」

 途端に顔を赤くしたふたりを見る知世。
 なるほど、と納得顔になった。

「無粋な侵入者には、お仕置きよ」

「お仕置き・・・ですか」

 小龍の力まで借りたのだから、お仕置きが相当なものだったのが知世には窺い知れた。
 ふわっと、芙蓉が欠伸をした。

「ごめんなさいね。昨夜は、さくらカードから八陣図、果ては七星剣まで使っての戦いだったの。
眠いし、身体の節々が痛いわ」

 無断借用のさくらカードをテーブルの上に出し、芙蓉はさくらに返した。

「姉上、それは大変でしたね」

「ええ、さくらカードと小龍のおかげで、殺されずに済んだわ」

「おまえは天才だな。ありがとう、小龍」

 小狼は、小龍を高く抱き上げて礼を云った。

「それで李君、これからどうするのでしょう?」

 知世はさくらを見て、次に小狼を見て訊いてきた。
 リチャード・王の狙いがさくらであることは、今後とも変わらないはず。知世はさくらが心配だった。

「決着を着ける」

「でも、どうやって?」

「・・・・・」

 手立てはなかったが、いつまでもクロウの屋敷に引き篭もっているわけにもいかない。

「心配はいらないわよ。今朝、卜占で占ったら良い卦が出たの」

 芙蓉が口を挟んだ。

「ほえ?」

 芙蓉がにこやかに微笑んでいた。
 その時、門の方から

「ごめん下さい」

 という声がした。

「はい、今行きます」

 突然の訪問者に応える芙蓉。

「さっそく、来たわね」

 芙蓉の答えに、さくら、小狼、知世は首を捻っていた。
 やがて、芙蓉が1人の老人を伴ってきた。
 老人は、白い髭、白い髪に白装束の身なりをしていた。
 どこか仙人を思わせる。

「こちらは月峰神社の方で、観月老師」

「観月さん?・・・あっ、もしかして観月先生の?」

「はい。歌帆は孫娘ですじゃ」

 慌てて3人は、立ち上がってあいさつをする。
 微笑みながら3人を見渡すと、観月老は小狼に眼を留める。

「君が李小狼君ですな」

「はい」

「そして、あなたがさくらちゃん?」

「はい、そうです」

 さくらの返事に、うんうんと頷く。

「これを君に授けましょう」

 細長い袋から白木を取り出すと、小狼に渡した。
 小狼は何気なしに抜いた。

「これは日本刀・・・」

 刀身に真っ直ぐな3本の刃紋があった。
 切先で刃紋が乱れて、それが飛ぶ鳥を表しているような波紋だった。

「祖先の観月信幸が、落ちた星から打ったそうじゃ」

 落ちた星とは、隕石のことだろう。

「それじゃ月峰神社の御神刀じゃないですか。いいんですか、そのような物をいただいても?」

「孫娘から電話がありましての。御神刀を渡してくれと」

「観月先生が?」

「荒ぶる龍を止めよ。そう云っておりましたわい」

 荒ぶる龍とは、当然リチャード・王のことだろう。
 しかし、小狼には自信がなかった。
 そのことが顔に出たのだろう。

「心配いりませんわい」

「え?」

「心を落ち着けて、刀を感じてくだされ」

 小狼は眼を瞑り、精神を集中する。

「こ、これは・・・」

「わかったようですの。その刀には、神の使い鳥が宿っているのですじゃ」

「神の使い鳥? ま、まさか・・・」

 飛行跡のような刃紋を見ながら、小狼は咽を鳴らした。

「こんな力が頻繁に出たら、大変なことになりますね」

 背中から冷や汗が出る。

「まず人間には使えませんな。器が燃え尽きてしまう。
この力に耐えうる器を持った、この場合は依り代ですな、李小狼君でないとだめです」

「小狼君、依り代って何?」

 さくらの問いに、小狼は困った顔になった。

「なんて云ったらいいのかな・・・」

 じっと、さくらの顔を見る。

「簡単にいうと、幽霊なんかに取り憑く人のことなんだ」

「ゆ、幽霊ぃぃぃぃぃ」

 見る間にさくらの顔が青くなり、次いで汗が吹き出た。

「さくらちゃん、この刀に取り憑いているのは幽霊じゃありませんわ」

「知世ちゃん、取り憑いてるって、怖いよぉぉ」

「あらあら、喩えがいけなかったかしら」

 知世には珍しく、云い方を間違えた。
 知世は、さくらをなだめるのに懸命だった。
 観月老は、微笑みながら話を戻した。

「昔、クロウ・リードという異人さんが、この御神刀を見たそうでのぉ」

「クロウさんが?」

「はい、神社の文献に載っていました。その異人さんは御神刀の真の力を見てみたいと、色々調べたそうですじゃ。
どうやら、御神刀そのものが錠のようなもので、そのための鍵が必要だと。そこまではわかったらしいです」

 刀に、ある力が封印されているということなのだろう。

「で、鍵は見つかったんですか」

 クロウのことだから、見つけたのだとさくらは思った。

「鍵といったのは、言葉の綾で、本当の鍵じゃありませんのじゃ。封印を解く魔法・・・ですかな」

「あっ、そうか。本当の鍵じゃなかったのか」

「その手立てをクロウさんは見つけたのですか」

 知世が先を催促した。

「ええ、見つけたようです。ですが、使わずじまいだったとか」

「ほえ?」

「なぜでしょう」

 せっかく見つけたのに、クロウは試さなかったという。
 なぜなのか。

「後々、御神刀の力を必要とする子孫が出てくる。その者のために、鍵を用意しておくのが己の使命だと、そのような
ことを云ったと伝わっておるそうじゃ」

 クロウ・リードは、この日のことを予見していたのだ。
 はあ、とため息をつく小狼。

「力を扱うに相応しい者でなかったら、焔に焼かれてしまうな。おれでも完全にだいじょうぶかどうか」

 小狼は柄をぎゅっと握り締めていた。
 逡巡しているのが、端からもよくわかった。

「ですが、今の君に黒き龍と対決するには、これしかないのですじゃ」

 確かにそうだ。
 さくらを守るために、小狼は力がほしかった。
 あんな惨めな想いは二度としたくなかった。

「さくらちゃん、例の呪文を」

 芙蓉が、さくらに目配せしながら促した。

「ほえ?」

「無敵の呪文よ」

「あっ!」

うなずくさくらに、芙蓉はにっこりと微笑んだ。
さくらは小狼に向かって呪文を唱える。

「小狼君なら、絶対だいじょうぶだよ」

「観月老師、御神刀をお借りいたします」

 さくらの無敵の呪文に励まされた小狼が云った。

「元々、その御神刀は君の物じゃよ」

 観月老は、両手を押し出しながら云った。

「それじゃ、さくら。リチャード・王の元へ行くぞ」

「はい」

 これが最後の決戦となるだろう。






 芝生の上に、戦いの準備を終えたさくらたちが立っていた。

「それじゃ芙蓉さん、行ってきます」

「さくらちゃん、必ず帰ってくるのよ。みんなもね」

 芙蓉は、さくら、小狼、そしてケルベロスたちを見る。

「はい、必ず・・・」

 さくらと小狼に同行する者は、ケルベロスとユエ、それと知世。

「星の力を秘めし鍵よ、真の姿を我の前に示せ。契約の元、さくらが命じる。封印解除[レリーズ]」

 両手を差し出すさくらの前に、鍵が浮かぶ。
 鍵は魔法の杖となる。

「空[スペイシー]」

 空のカードが、さくらカードへと変わる。

「我らを、リチャード・王の元へと誘(いざな)え」

 杖で空間の一角を斬った。
 空の女性が、さくらたちを包み込むようにして空間の亀裂に入っていった。

「さくらちゃん、必ずね。約束よ」

 小龍を抱いた芙蓉が呟いた。




 さくらたちはリチャード・王の隠れ家の前にいた。

「リチャード・王、出て来い。決着を着けに来たぞ!」

 門の前で小狼が叫ぶと、門がひとりで開いた。

「ようこそ、いらっしゃいませ」

 メイドのミユウが立っていた。

「音無さん・・・」

「わたしを、まだ音無さんと呼んでくださるんですね」

 さくらの呼びかけに、ミユウは一瞬友人の顔になった。

「これより幻影館にご招待します。どなたが来られますか」

 が、ミユウは直ぐリチャード・王に忠実なメイドの顔になった。

「全員だ」

「大道寺さんも、ですか?」

 ミユウは、意外、という表情になった。

「そうだ」

 さくらは、知世がついて行くと云った時、当然反対した。

『わたしも巻き込まれました。事の顛末を見る権利があります』

 知世は、そう頑固に主張した。

 さくらをおびき出す道具に使われた知世としては、静かに待つことはできなかった。
 知世は、万が一の場合さくらの身代わりになってでも阻止するつもりでいた。
 ユエとケルベロスは、当然主の護りについて行く。
 ミユウとグリフォンに一敗地にまみれたが、今度こそはと決意を固めていた。

「いいでしょう。ご主人様がお待ちいたしております」

 踵を返してミユウは歩いた。
 さくらたちは、隠れ家の裏の方に案内された。

「あまり良い所ではありませんわね」

 知世の云うとおり、そこは表とはまるで違って荒れ果てた広場だった。

「リチャード・王は、どこにいる?」

 姿が見えなかったが、

「直ぐに見えられます」

 ミユウの言葉が終わると同時に、地鳴りがした。
 地面から、リチャード・王が浮き上がってきた。

「まるで、主役気取りやな」

 大仰な登場に、ケルベロスの顔がしかめっ面になる。

「ご主人様はホストで、あなた達はゲストですから」

 ミユウは、ケルベロスの言葉に、当然とばかりに答えた。

「ようこそ、我が幻影宮へ」

 紳士らしく、一礼をするリチャード・王。

「決着を着けに来た」

 小狼の声が響いたが、リチャード・王の顔は冷ややかだった。

「今宵は月食ではありません。闇の力は、もう使えませんよ」

「余裕だな、リチャード・王」

「北斗の使い手ではない李小狼を恐れる必要はありません」

「だが、さくらの魔力は恐ろしいんじゃないのか?」

 その一言にリチャード・王の心が騒いだ。
 が、内心の動揺を抑えて云った。

「さくらさん、これ以上無駄な血を流したくはありません。わたしの元に来てくださいませんか」

 こういうのを慇懃無礼というのだろう。 
 要求に応じないと、無駄な血が流れると脅しているのだ。

「絶対にいや!」

 峻拒するさくらにリチャード・王はため息を吐いた。

「ならば致し方ありません。力づくで奪うのみです」

 リチャード・王の前に進んだミユウが、歌を歌い始めた。
 歌声が周りに満ち溢れる。

「これは召喚の呪文・・・」

 ユエの顔が強張る。
 ミユウとグリフォンに負けたのを、イヤでも思い出させる。
 ミユウの足元に六芒星が現れた。
 ミユウは歌いながら髪をバッサリと切った、あの長くて金色の髪を。

「我の求めに応じよ、魑魅魍魎たち」

 足元の六芒星に、切った髪を撒き散らした。 
 グリフォンの時と同じく光の柱が立ち上がり、多くの影があった。

「ほえ――――っ、得体の知れないものが、いっぱい出たよぉぉぉ」

 叫び声というよりは悲鳴だった。

「なるほど、魑魅魍魎の召喚者だから魅優だったのですね。セイレーンで音無といい、本当にネーミングセンスは抜群
ですわ」

 さくらとは対照的に、知世は至って冷静だった。

「知世ちゃん、何云っているの」

 感心している知世に、さくらが訊いた。

「魅優の魅は、鬼という字があります。そんな字を名前に使うのを不思議に思っていましたが、得心しましたわ」

 人外の者という意味を込めていたのであろう。
 今から思うと、さくらたちはまるで気がつかなかった。
 そこかしこに、注意を払うべき点があったのだ。

「ざっと見たところ、百匹くらいでしょうか」

「知世ちゃん・・・」

 さくらは涙声で知世に擦り寄る。

「さくらちゃん、落ち着いてください」

「でもぉぉ」

 リチャード・王は、さくらが幽霊の類が苦手なのを把握済みのようだ。

「あれは幽霊とは違います」

「ほえ?」

「だって、実体がありますもの」

「そうなの?」

「ええ、わたしにだって見えますから」

「なんだ、そうなんだ」

 さくら、ちょっと復活。

「リチャード・王の計算違いか」

「はあ、さくらも現金なもんやなぁ・・・」

 ユエとケルベロスは拍子抜けした。

「さくら、魑魅魍魎なんて蹴散らしい」

 景気よくやってくれ、という感じでケルベロスが叫ぶ。

「風[ウインディ]」

 魑魅魍魎相手でも、呪縛カードから入るのがさくららしい。
 だが、魑魅魍魎たちに風の魔法は効かなかった。

「どうやら、風の魔法を使う魑魅魍魎がいるようだな」

 次のカードを出そうとするさくらを、小狼は左手で制した。

「小狼君?」

「さくら、敵は魔力の消耗を狙っているんだ。わざわざ相手の思惑に乗ることもないだろう」

「じゃあ、どうするの?」

「おれがやる」

 すっと、さくらの前に出た小狼に、リチャード・王が嗤った。

「先ほどわたしが云ったのを、わかっていないようですね」

「おまえこそ、わかっていないな。さくらの魔力を欲しがっていたくせに」

「どういうことでしょう」

「おれは魔法が使えなくなったわけではないぞ。魔力が小さくなったにすぎない」

 はっとなるリチャード・王。

「魔力は、さくらから借りればいい」

 確かに、その通りだ。
 現に、芙蓉が小龍から魔力を借りて北斗の魔法を使ったではないか。

「さくらの魔力が、どれほどのものか、今見せてやる。さくら、闇[ダーク]だ!」

「はい!」

 小狼の云うことが、さくらには瞬時にしてわかった。

「知世、わいの背中に乗りぃ」

「え?」

「魔力のない者は闇に取り込まれて見えんようになってまう。が、見えへんだけで、知世はそこにおるんや。小僧が何
やるか分からへんけど、巻き添え食ってしまうかもしれへん」

「わかりました」

 答えるや否や、すかさず知世はケルベロスの背中に横になって飛び乗った。
 ケルベロスは、魔法の流れ弾に当たってしまうのを危惧したのだ。

「星の力を秘めし鍵よ、真の姿を我の前に示せ。契約の元、さくらが命じる。封印解除[レリーズ]」

 鍵が杖に変わる。
 次に、さくらはカードを差し出した。

「闇[ダーク]」

 瞬時にして周りは闇に閉ざされた。
 闇はユエ配下の第一カードで、月の力が源だった。
 そして、かつての小狼は月の力の持ち主であった。

「辺りが真っ暗になりましたわ」

 ケルベロスの背中に乗った知世は、カメラを片手に周りを見渡す。
 知世が闇に飲み込まれなかったのは、ケルベロスの庇護下にあったからに他ならない。
 小狼は両手を広げる。
 式服の袖の鈴が鳴った。
 そして拳を腰につける。

「臨める兵(つわもの)・・・」

 摺り足で前に進める。

「闘う者・・・」

 呪文に合わせて、くるりと回る。
 式服の袖が優雅に舞う度に鈴が鳴った。

「皆(みな)陣を列(つら)ねて、前を行く」

 小狼は正面を向いて止まった。

「いかん。魑魅魍魎どもよ、宙に飛べ!」

 リチャード・王が叫んだ。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行」

 小狼は右の人差し指で四縦五横に空を切った。
 すると、小狼の足元から無数の光の線が籠目となって走った。
 ギャァァァァァっという声が、あちらこちらから上がる。
 魑魅魍魎たちは、蜘蛛の糸に掛かった蝶の様に、籠目に掛かっていた。

「ご主人様、これは?」

「九字の呪法を切ったんですね。ですが、ただの九字がこれほどの威力だとは。恐るべし、さくらさんの魔力」

 リチャード・王は額に汗をかいていた。

「ふっ。おまえこそさすがだな。咄嗟に七死刀を地に突き刺して籠目を止めるとは。巧く行けば、おまえも捕らえるつも
りだったんだが、甘かったか」

 やはり奇襲は利かなかったかというニュアンスがあった。

「いいんですか? 宙に逃げた魑魅魍魎どもは、かなりいますよ」

 見ると、三十匹はいるだろうか。

「さくらの魔力は、こんなもんじゃない」

 宙に飛んでいる魑魅魍魎たちが、さくらたちに仕掛けるべく周りを囲んだ。
 小狼は、背中の刀を鞘から抜く。

「ほお。今度は攻撃的な九字か」

 ユエの呟きに、

「どういうことですか」

 知世が訊いた。

「呪文に注意を払って見ているがいい」

 ユエは知世の問いに答えなかった。

「臨める兵、闘う者」

 舞は先程と同じだ。
 ただ、刀を持っていることだけが違う。
 リチャード・王も凝視していたが、小狼が何をするのかはわからなかった。

<また九字を切るのか?>

 先ほどとまったく同じだと思った、ここまでは。

「皆、陣烈(やぶ)れて前に在り」

「何? 呪文が違う!」

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」

 地面の籠目の交差点から線が立ち上がり、幾層もの平面の籠目が現れた。
 目の前の闇は、赤外線サーチのように幾つも線が走っていた。

「三次元の籠目。これがさくらさんの真の力なのか・・・」

 予想もつかない事態だった。
 先の籠目が二次元の座標軸と呼ぶならば、今度の籠目は三次元の座標軸だった。
 全ての魑魅魍魎は、九字の結界にかかって消えた。
 跡には、ミユウの髪が散らばっていた。

「皆、陣烈れて前に在り。なるほど、敵を打ち破る攻撃的な呪文なんですね」

「列と烈が違う。九字の呪文は、二通りあるということだったわけだ」

 中国系の魔法は、ユエの精通するところだった。

「くっ」

 苦痛をあげるミユウはグリフォンに跨り、打って出ようとした。

「待ちなさい、ミユウ」

「ですが、ご主人様」

「お前では勝てない」

 もとよりそんなことは解かっていた。
 がミユウは、それでも幾ばくかの役に立ちたかったのだ。
 そんなミユウをリチャード・王は愛していた。
 なればこそ、ここでミユウを失うわけにはいかなかった。

「音無さん。なぜあなたはリチャード・王に味方するの?!」

 彼らのやり取りを見ていたさくらが叫んだ。

「なぜですって?」

「そう。なぜ?」

「それは、私のドミナス(ご主人様)だからです」

 さくらは困惑していた。
 ドミナスとは、それほどのものなのか。

「さくらさん。私は誰ですか?!」

 きっとした目を向けてミユウが叫ぶ。

「ほえ?」

 さくらの困惑が吹き飛んだ。 
 思考が停止している。

「私は、いったい何処の誰に見えますか?!」

「何処の誰って・・・」

 ミユウの叫びに、さくらたちは改めてミユウを見た。
 顔立ちは明らかに東洋系で、瞼は二重だ。
 しかし、目の色は青く、髪は金色だ。

「目と髪の色で、さくらさんたちは私を外国人と見ていたのではありませんか?」

「・・・・・」

 云われる通りだった。

「彼の地で私は日本人、いいえ、外国人でした」

 ミユウを見ていると、確かにそう思われるだろう。 
 東洋でもあり、西洋でもある。

「何処に行っても私を同じ人間だとは見てくれません。私を見る目は異なる人間、そう、異人でした」

 ミユウの叫びに、さくらは確かにそのような目で見ていたことを恥じた。 

「私はずっと問いかけてきました、自分は誰なんだろうと。そう思い続けてきた私がどうなったか、さくらさん、わかりま
すか?!」

 さくらは首を横に振った。

「魂が・・・消えそうになったんですよ」

 ミユウの言葉は、一転して低い声になった。

「魂が消える?」

「ええ。私は何処の誰でもない。そんな考えに至ったら、魂の色も形もなくなりそうでした」

 なぜかさくらは、小狼が位置(ポジション)を持ちたいという芙蓉の話を思い出していた。

「それどころか、自分で魂の色を漂白するのもいいかな、なんて思いました」

「それって、まさか・・・」

 さくらは息を呑んだ。

「そんな時に、ご主人様に出会ったんです。魂の色は、誰でも美しい生成り色を持っていると」

「魂の生成り色・・・」

 良い言葉だと、さくらたちは思った。

「でも私は、その生なり色さえ忘れてしまったんです」

 両親を亡くしてからの辛い生き方が漂白させてしまったのだろうか。

「リチャード・王さんに仕えることで、生成り色を取り戻そうとしたんだ」

「そうです」

 消えそうなミユウの魂にリチャード・王は色と形を与えたのだと、さくらは思った。

「なるほどな。確かにこれはドミナスとメイドの絆やな」

 ケルベロスは、感じ入ったように答えた。ケルベロスの言葉に、リチャード・王はドミナスとしての誇りを感じた。
 小狼は、改めて敵なる男を見た。
 その時、リチャード・王の口元が緩んだ。
 立場は違えど、互いに信じるもののために死力を尽くすことを理解しあえる。
 敵なのに愛しくさえ思える奇妙な気分だった。

「では、再開しましょうか」

「ああ」

 それぞれの宿命を背負い、激突が再び始まる。

「それでは今度は、私の魔法をお見せしましょう」

 リチャード・王は、懐から箱を取り出した。

「以前、小狼君がドーマンセーマンで式神を使いましたが、私は土人形を使ってみようと思います」

 蓋を開けた箱から二体の土人形を取り出して、地面に置いた。

「土人形やと? ゴーレムか」

「さすがはケルベロス、ご存知でしたか」

 ユエが中国系の魔法に精通しているが、ケルベロスは西洋系の魔法に精通していた。

「ですが、私の場合は少し違います」

 本来のやり方は、土人形の額に文字を入れる。

「ゴーレムよ、我の命令に従え」

 小さなゴーレムが箱から立ち上がると、ムクムクと大きくなった。

「小狼君?」

「だいじょうぶだ、さくら」

 見るとゴーレムは、2mはゆうにあった。
 小狼は神刀を構え、

「さくらたちはリチャード・王たちを牽制してくれ。絶対に動くな」

 さくらが返事をする前に、ゴーレムに切りかかった。
 飛燕のような速さでゴーレムの手首を斬った。
 が、ゴーレムには何ほどのことでもないようだ。

「小僧、魔力の核(コア)を切るんや」

「わかっている」

 ケルベロスのアドバイスに、小狼は目を瞑った。 
 その間に2対のゴーレムは小狼を挟み撃ちにしようと、位置に付いた。

「わわっ。あれじゃ小狼君、挟み撃ちになっちゃうよ」

「さくら。まあ、黙って見とれ」

 さくらに心配に、ケルベロスは余裕のある声で答えた。

<そうか、魔法の核は胸部の真ん中より少しずれたところ。人間の心臓の位置と同じか>

 小狼は目を瞑ったまま、身体を90度ずらした。
 ゴーレムが左右にある。

「そう。それでええんや」

 ケルベロスが小狼の対応を褒めた。

「ケロちゃん、同時にかかられたらどうするの?」

 さくらは、どきどきして見ていた。

「それが小僧の狙いや」

「ほえ?」

 ケルベロスのいう通り、ゴーレムが同時に打ちかかった。
 が、同時といっても、歌などでリズムを合わせない限り、僅かでも時間差が生じるものである。
 左のゴーレムの攻撃が僅かに速かった。
 それを察知した小狼は左のゴーレムに身体を寄せた。
 左に詰めたことで、遅い右のゴーレムの攻撃から更なる間を取りえた。
 小狼は左のゴーレムに体当たりをかました。
 さくらが我に返った時には、小狼は体当たりの反動を利用して加速し、右のゴーレムを斬り払っていた。
 予想とは違う間合いからの攻撃に、右のゴーレムは呆気なく倒された。
 しばし、小狼と左のゴーレムとの睨み合いが続く。

「はっ!」

 呼吸を計って小狼が神刀を突く。
 が、ゴーレムもさすがで、両腕を十文字にして小狼の攻撃を受けた。
 神刀はゴーレムの腕を突き抜けて胸部に刺さったが、僅かに魔法の核から上のほうに外れて刺さっていた。

「よし、やった。元々痛みなど感じませんからね、ゴーレムは」

 リチャード・王は会心の思いだった。

「そのまま振り回して振り払いなさい」

 が、ゴーレムは動かなかった。

「どうしたのです、ゴーレム」

 見ると、小狼の四股が震えていた。

「うおぉぉぉ・・・」

「力で押す気ですか。無駄な・・・」

 リチャード・王が云い終わらないうちに、ガシャンと音がして、刀は地面に食い込んでいた。

「・・・斬ってしまいましたか。なんとまあ、品のない・・・」

 嘆かわしい声でリチャード・王が云った。

「品がなくて結構。この御神刀に相応しい闘い方は、力と速さが全てだ」

「技というものが無いと?」

 小狼は頷いた。

「本当に品がありませんね」

 リチャード・王が七死刀を構えた。
 小狼も正眼に構える。
 小狼が動いた。
 キン!
 咄嗟に受け止めた。

<なんという速さ。危なかった・・・>

 一拍空いた後、小狼は乱れ打ちのように刀を打ちつける。

<斬撃というよりは打撃ですね>

 小狼の打撃を受ける度に火花が飛んだ。

<このままでは七死刀がもたない>

 後に大きく跳んで間合いを離したにもかかわらず、小狼はリチャード・王の予測を超える一足飛びで間合いに飛び込
んでくる。

「まるで燕のようですね」

 今や防戦一方のリチャード・王。たまらず空中に逃げた。

「ほえ―――っ。空、飛んでるよぉ」

「見くびっては困りますね。もともと龍は飛べるんですよ」

 リチャード・王は空中で呼吸を整える。

「もう、容赦はしません」

 七死刀を正面に立てて呪文を唱える。

「カイ シャク カン コウ ヒツ フ ヒョウ キュウ キュウ ニョ リツ リョウ」

 2匹の龍が七死刀でとぐろを巻いていた。

「双龍招来!」

 七死刀を振り下ろす。
 2匹の龍が小狼目掛けて飛んでいく。
 龍は口から凍気を吐く。
 小狼は寸前で火をかわす。
 が、その次にはもう1匹の龍が凍気を吐いた。

「その凍気は液体窒素と同じ効果がありますよ。いつまでかわし続けることができますか」

 逃げ惑う小狼に、2匹の龍は弄ぶように攻撃をかける。

「小狼君!」

 助けに入ろうとするさくらの腕を知世が掴んだ。

「知世ちゃん?」

「動いてはいけませんわ」

「でも!!」

 さくらには、止めようとする知世の気持ちがわからなかった。

「小狼君は、動くなといいました。ならば、何があろうと動かないのがさくらちゃんの取るべき行動です」

「でもぉ・・・」

 わかってはいるが、小狼は苦戦していた。

「その時が来れば、小狼君が云います、必ず」

「うん、信じることが、今のわたしのするべきことなんだね」

 魔法の杖を、さくらはぎゅっと握った。

 小狼は、2匹の龍の攻撃をかわしていたが、徐々に追い詰められてもいた。

<このままじゃ、さすがにヤバイ>

 意を決して龍の正面に出る。

「でやぁぁぁ」

 気合を込めて神刀を振り下ろす。

「龍を斬った? だがしかし、もう1匹の龍が」

 もう1匹の龍が隙に乗じて小狼を捕まえた。

「しまった」

 龍が蛇のように小狼の身体を巻き、締め上げた。

「小狼君?」

 苦し紛れに神刀を振り回す。
 が、そこにとぐろを巻いた龍の顎があった。
 神刀の切先が龍の顎下を斬った。

「うわぁぁ!!」

 龍の顎下にある鱗を逆鱗という
 逆鱗に触れただけで龍は怒り狂う。
 ましてや、逆鱗を斬ったのだから怒り狂うだけでは済まなかった。

「小狼君?!」

「だ、だいじょうぶだ」

 小狼は気丈にも云ったが、龍は小狼をきりきりと締め上げる。

「ど、どうしたらいいの!」

 さくらは懸命に考えた。
 このままでは、前のときと同じになる。
 自分の目の前で、小狼がまた倒されてしまう。

「絶対にだめ!」

 でも、どうしたらよいのだろう。

「さくらぁ、カードだ」

「え?」

「地水風火空、5枚の高位カードを、この神刀にぶつけるんだ」

「で、でも・・・」

 ぎゅっと杖を握るさくら。
 さくらは、高位カードを5枚も発動させる自信がなかった。
 しかし、小狼がリチャード・王相手に戦っているのに、無理だとは絶対に口にできなかった。 

「だいじょうぶや、さくら。わいらが手助けするさかい」

「ほえ?」

 呆然とした顔を、さくらはケルベロスに向けた。

「でも、どうやって?」

「わいらの魔力を加えるんや」

「助けてくれるの?」

「当たり前やさかい。さくらとわいらは仲良しなんやろ? だったら、困っている者を助けるのは当然やろ」

 ケルベロスは、当たり前のことを当たり前にしゃべった。

「早くしないと、彼が死んでしまうぞ」

 ユエが、急ぐように云った。

「それじゃ行くよ、ケロちゃん、ユエさん」

「おう」

 さくらカードの魔方陣が現れる、中央に星、西の方角に月、東の方向に太陽の魔方陣が。
 そして、星にさくら、月にユエ、太陽にケルベロスが立っていた。

「我、五つの力に想いを託す。かの者の助けとならんことを」

 地[アーシー]、水[ウオーディ]、火[ファイアリー]、風[ウインディー]、空[スペイシー]の高位カードがさくらたちの
面前に浮かんだ。

「契約者さくら、審判者ユエ、守護獣ケルベロス、三位一体となりて魔力を奉げん」

 魔法の杖が、さくらの背丈以上の長さになる。
 杖の先に地水火風空の5枚のカードが囲んでいた。

「お願い、カードさんたち、小狼君の助けになって!」

 思いの丈を込めて、さくらは杖を振った。
 五大力のカードが小狼に向かって飛ぶ。
 カードたちは神刀に吸い込まれると、神刀が煌いた。
 その一瞬後、小狼を締め上げていた龍が音を立てて千切れ飛んだ。

「なに?!」

 龍が千切れるなど、ありえないことだった。 
 龍はこの世で一番強いもの。故に皇帝の象徴でもあったはず、なのになぜ・・・。

「我ハ、金翅鳥・・・」

 小狼が背中に焔の翼を生やして浮かんでいた。

「と、飛んでいる? 飛んでいるよ、小狼君!」

 さくらは慌てていた。
 自分がわかるように誰でも良いから説明して、と思っていた。

「ま、まさか・・・」

 リチャード・王も信じられない面持ちで見ていた。

「口カラ火焔(ひ)ヲ吐キ、龍ヲ喰ラウ神ノ使イ鳥ナリ」

「ガルーダか」

 今度は睨み付けるように小狼を見ていた。

「ならば、その刀は迦楼羅神刀・・・ですね」

 金翅鳥。
 インド神話における巨鳥で、常に龍を食するという。
 金翅鳥とは迦楼羅の別名で、梵語ではガルーダ。 

「云ったはずだ、龍より強いものがあると」

 神刀を構える小狼。 
 今や小狼は、迦楼羅の力を己が意志の許に置いていた。

「その力、本物かどうか、今一度試してみましょう。火龍招来」

 火の龍が小狼に向かって奔る。
 小狼が迦楼羅神刀を真一文字に構えると、焔の翼が広がり焔が放射された。

「その力、まさに本物・・・」

 小狼は一撃の下に火龍を屠った。

「小僧、火龍を火焔でやっつけよった。迦楼羅炎でなければでけへん」

 半ば呆れ顔でケルベロスが云った。
 小狼とリチャード・王の戦いは、ケルベロスの思考の範疇から大きく出ていた。

「リチャード・王、西に去れ。それで、さくらにしたことは忘れてやろう」

 呆然とした面持ちのリチャード・王に小狼は告げた。

「それはできません」

「・・・・・」

「わたしは、何千年にも及ぶ黒龍の怨念を背負っています。引く事は断じてできない」

「その怨み、忘れることはできないのか?」

 リチャード・王は、寂しげに首を横に振った。
 小狼は悲しみの眼をもって、リチャード・王を見た。

「怨みを忘れることができない者の末路は、悲惨だぞ」

「悟りきったような口を利いてほしくありませんね。ぬくぬくと北斗の座に君臨してきただけの者に何がわかるというの
ですか」

 低く抑えた口調が、かえって悲痛ともいえるリチャード・王の思いがそこにはあった。

「ご主人様・・・」

 ミユウには、主の戸惑いと絶望が理解できた。
 迦楼羅と龍。
 その間に、越えることのできない絶対的な力の差というものを感じ取ったのだと。
 そして幾千年もの怨念を背負った挙句が、この状況だった。

「リチャード・王。この世で一番強いものは、何だと思う」

「それは龍。北斗の座に君臨する者です」

「違うな」

 小狼は言下に否定する。

「答えは思念だ。時として、死者の思念が生者を捉える。現に、黒龍の怨念を背負ったおまえがそうだな」

 思念が強いと執念となる。過ぎれば妄念となり、怨念となる。
 小狼はため息を吐き、リチャード・王から視線を外す。

「その昔、李家は龍の力をもって、時の権力者に仕えてきた。権力者の顧問となって、為政の一翼を担ってきた。が、
それだけに権力者たちから常に警戒の眼で見られてきた」

 小狼は昔話を始めた。

「讒言、妬み・・・。それらに耐え切れなくなった李泰という者が、己自らが皇帝になろうと思った。が、彼はあまりにも
人を殺しすぎた。殺された人たちの魂は天に還ったが、魄は地に還れなかった」

 魂は精神の魂で、魄は身体の魂。地に還ることのできなかった魄は陰(オニ)となってこの世にとどまるという。

「李泰は陰に殺された」

「うそです! 龍が陰に殺されるものですか!!」

 リチャード・王は叫んだ。
 龍より強いものがあるとは信じたくなかった。
 それは今までの自分を、それだけではなく黒龍の末裔たちの生き方をも否定しかねない事を認めたくない悲鳴に聞
 こえた。

「うそじゃない。確かに、1つ1つの陰は弱いだろう。が、幾千幾万という陰が李泰を襲った。が、事はそれだけではす
まなかった。李一族のことごとくが陰に殺された。それだけ、陰の怨みは凄まじかった」

 リチャード・王だけではなく、その場にいた者全員が息を呑んだ。

「かろうじて生き残った者たちも、浮屠の者(仏教徒)たちの助けがなければ、死んでいただろう」

「では、今の李一族とは?」

「始祖の末子の子孫だ。だから、本流からは程遠いな」

 愕然とするリチャード・王。
 そしてその後で、力のない乾いた口調で自分を嘲った。

「はははは。私はいったい何をやっていたのでしょうね。相手は正当なる緑龍でることを微塵も疑ってはいませんでした」

 小狼によると、生き残った李一族は龍門の秘法でもって北斗の座を受け継いだが、緑龍の力全てを受け継ぐことは叶
 わなかったという。
 辛うじて生き残った者たちの間で行われた龍門の秘法。
 生贄を捧げる、ある意味邪悪なる呪法。
 その時代は、まだ緑龍の力が必要とされたのだろうか。
 そこに必ずあったであろう悲劇を思うと、小狼は空しさを感じた。
 龍門の秘法は、後の子孫たちによって封印されたという。
 リチャード・王は、緑龍の後継者であった小狼はほぼ自分に匹敵する、そう思っていた。
 それが傍流であったとは。ならば黒龍と緑龍とでは、どれほどの力の差があったのか。

「おまえ、北斗の座に着いて何をするつもりなんだ?」

「・・・・・」

 リチャード・王は答えなかった。
 いや、答えられなかった。

(黒き龍は、リチャード・王さんに伝えるべきことを伝えていなかったんだ)

 そう考えながら、さくらはリチャード・王を見つめていた。

「凄まじきは黒龍の怨念か」

 引く気はないリチャード・王の眼光を見て、小狼は地上に降りて神刀を構えた。

「結局は、決着を着けねばならないということです」

 両者、10歩の距離を走って刃を交えた。
 互いの刀が鳴り、弾き返す。
 後に持って行かれそうな刀を再度同時に斬撃に繰り出した。
 互いの左肩から血が吹き上げた。

「小狼君!」

「ご主人様!」

 さくらの、ミユウの心配そうな声が響いた。

「カイ シャク カン コウ ヒツ フ ヒョウ キュウ キュウ ニョ リツ リョウ」

 七死刀の7つの切先が輝く。

「やはり、李小狼を倒す術は龍血泉でしょう」

 輝ける七死刀を小狼に向けて振り下ろす。
 7匹の龍が奔る。

「太陽柱煌輝(サンピラー)」

 身体を低く沈めた小狼が、迦楼羅神刀を逆袈裟に振り上げた。
 迦楼羅の焔が太陽の柱となってそびえ立ち、7匹の龍は呑みこまれた。

「バカな。我が最大の奥儀が通じないとは。やはり、龍は迦楼羅に勝てないのか・・・」

 呆然とするリチャード・王が見たものは、頭上から斬りつけようとする小狼だった。

「もらったぞ、リチャード・王」
 斬りつける刹那、横から影が入った。

「きゃあああ」

「しまった!」

「ミユウ!」

 小狼はミユウを斬ってしまった。

「ご、ご主人・・・さま・・・」

「ミユウ、しっかりしろ」

 が、血は流れ、地に吸い込まれていく。

「寒い・・・です」

 青い顔のミユウが云った。
 リチャード・王が抱きしめると、

「ああ・・・温かい・・・」

 満足そうにミユウが云った。
 リチャード・王は、ミユウがもっともっと温かいようにと、力を込めて抱きしめた。

「ご主人様・・・必ず・・・勝って、北斗の・・・座に」

「もうしゃべるな。しゃべると、余計辛くなる」

 青白い顔でミユウは弱々しく横に振る。
 ミユウの頬をグリフォンが舐めた。

「グリフォン・・・今まで・・・ありがとう・・・本当・・・に、ありがと・・・う」

 落ちるようにミユウの瞼が閉じた。
 グリフォンが薄くなる。

「そうか。おまえもいなくなるのですね」

 召喚者であるミユウの魔力がなくなると、グリフォンもまた帰る。
 グリフォンが消えた。

「すまない、ミユウ。わたしは李小狼に勝てそうもない。そして、おまえの許に行けそうにもない」

 さくらたちは、黙って見つめていた。
 ミユウを横たえると、リチャード・王は七死刀を構えた。

「どうしても、やるのか」

「はい」

「勝てないとわかっていても?」

「今更生き方を変えられません。それほど黒龍の怨念は凄まじい。が、ひとつ愚痴を云わせてもらえば、黒龍は怨念を残
しても、北斗の座に君臨して何をしたかったのかを残してはくれませんでした」

「李泰も、それを忘れた。緑龍の意志を捨ててしまった」

 小狼も迦楼羅神刀を構えた。
 湧き上がる魔力に呼応するように、2人の間で小石が浮き上がっていく。

「最後の激突や」

 見ていたケルベロスがつぶやく。
 リチャード・王が光の球に包まれて、宙に浮く。
 小狼も焔の翼を拡げて、宙に飛ぶ。

「ぐっ」

 小さな呻き声とともに小狼の唇の端から血が流れたのを、リチャード・王は見逃さなかった。

「相当負担のようですね」

 迦楼羅の力を小狼の意思の元に置いているとはいえ、小狼の器では完璧に、とはいかなかったようだ。
 例えるならば、乗用車にレーシングエンジンを搭載して走るようなものだった。

「今この時使えればいいだけだからな。直ぐに壊れる訳ではない」

 虚勢ではなかった。
 それだけの自信があった。
 リチャード・王が、この言葉に鋭く反応した。

「李小狼、私の何を恐れているのですか?」

 が、小狼は答えない。

「なるほど、そうでしたか」

 少し考えた後、リチャード・王が微笑んだ。

「見破られたか。それでも、おまえの負けは変わらない」

「でしょうね」

 小狼の言葉にも、リチャード・王は微笑みながら何度も頷いた。

「史記刺客列伝の予譲を知っていますか?」

「知っている・・・。そうか、いいだろう」

 リチャード・王の問いに、小狼は答えた。
 互いに向かって宙を飛んだ。
 激突し、弾けて上昇した。
 2人は空の彼方へと消えた。
 さくらたちは、固唾を飲んで空を見上げた。
 空の一点が光った。

「李君、勝ったのでしょうか」

「あそこ。誰かが降りてくる」

 さくらが指を指した。

「小狼君だ。小狼君が勝ったんだ!」

 ゆっくりと小狼が舞い降りた。
 しかし、振り向いた小狼に、みんなは驚く。

「小狼君、その眼どうしたの?」

 小狼の閉じた瞼からは血が流れていた。

「両眼は、あいつにくれてやった」

 みんなが息を呑んだ。

「リチャード・王は?」

「死んだ」

「くれてやったとは、どういうことや?」

 最初、ケルベロスは、傷つきながらも小狼がリチャード・王を倒したものと思った。
 だが、それだと「くれてやった」という言葉がおかしい。

「李君は、わざと差し出した、ということですか?」

 知世の言葉に小狼が頷いた。

「どうして? わかんないよ!」

 小狼が、もう見えないのだと思うと、さくらはたまらなかった。

「おれは、リチャード・王の魄が陰になるのかと考えると、怖かった。幾千年の怨念を背負って陰になるのだと思うと震えた」

 現に小狼は今も震えていた。
 そのことが小狼の恐怖の大きさを物語っていた。

「それと李君が両眼を差し出したのと、どうつながるのです?」

 知世の疑問は、皆の疑問でもあった。

「あいつとの話で、予譲の話が出ただろう・・・」

 司馬遷の史記、刺客列伝に予譲の話がある。
 予譲は、自分を国士として遇してくれた主を討った趙襄子暗殺を企む。
 が、2度仕掛けて2度とも失敗した。
 捕まった予譲は最期の願いとして、趙襄子の服を賜り、その服を剣で3度切り裂いて仇に報いたという。

「あいつには、おれの両眼で我慢してもらったが、それもいつまでもつか・・・」

 小狼は嘆息する。
 みんなが、えっ?となった。
「結局、あいつの魄は地に還れなかった。さくらに、小龍に仇なす者として迦楼羅の力で倒してしまったが、性急すぎたのか
もしれない。黒龍との決着は、やはり緑龍が着けなければならないんだな」

 その緑龍は赤子だった。
 小狼の行為は無駄ではないにしても、それでは気前が良すぎる気がした。

「北斗七星が死を司る星といわれるのは、魂魄の浄化を正しくできるからだ。決して、人の死を弄ぶからではないんだ。
リチャード・王の魄を地に還せるのは、やはり小龍だけだ」

 小狼の云い方に、何かしら寂寥感みたいなものが感じられた。
 一方は黒龍の末裔として、もう一方は緑龍の力を次代に渡した者として、命のやり取りをした者同士のみにわかり合える
 ものがあるのだろうか。 
 さくらも少し寂しさを感じていた。
 小狼が迦楼羅神刀を鞘に収めた。
 それが、戦いの終止符を表していた。



 続く



  オールド・ハワイコナさんのSS  『CCさくら〜黒衣の花嫁〜』第10話の掲載ですぅ
  
  凄まじい小狼とリチャード・王の戦い!!!
  リチャード・王の身代わりに散るミユウ・・・・
  さくら、ユエ、ケルベロスの力を得て小狼が・・・・
  素晴らしい回でした〜。

  さて次はとうとう最終話。
  どんな展開が待っているのでしょう〜。  ((o(^∇^)o))わくわく

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