カードキャプチャーさくら〜黒衣の花嫁〜
第6話     【妖しい転校生】



【妖しい転校生】


「あれから何も起きませんね」

 ホームルームが始まる前のひと時、知世がさくらに話しかけた。

「うん、そうだね」

「あきらめた、なんてことないでしょうし・・・」

 敵は復讐のために、何千年と耐え忍んできたのだ。
 その執念たるや、半端なものではあるまい。
 その証拠に、敵は赤子である小龍まで手に掛けたのだ。

「やっぱり赦せないよ・・・」

「さくらちゃん、何がですか」

 知世を見ずに云ったさくらのひと言。

「あのリチャード・王という人が小龍君に蠱毒を仕掛けたこと」

 李家所縁(ゆかり)の人間というだけで、蠱毒を赤子にまで仕掛けた。
 さくらは、ひど過ぎると思った。
 いや、残忍だと思った。

「李君は何て云ったのですか」

 洞察力鋭い知世は、さくらが納得できないことを小狼が云ったのだろうと思った。

「相手は、西の果ての地で何千年も耐え忍んできたんだよな、って。小狼君、相手に理解を示すようなこと云うんだもん・・・」

「それでさくらちゃん、浮かない顔をしていたんですね」

「わたし、そんな顔してた?」

「ええ」

 知世はさくらに微笑んだ。

「李君がそのようなことを云ったのは、相手のやり方に理解を示したというより、ちょっと感傷に耽ったのかもしれません」

「ほえ?」

「緑の龍と黒き龍。わたしたちには窺い知れない深い繋がりがあるんですわ。もし、緑の龍が負けていたなら、立場が違っ
 たかもと思ったのでしょう」

 何千年にも渡る確執の歴史。
 たとえ憎い相手でも、思い続けた相手は自分の心に巣くう、心の大部分を占めてしまうものだということを、さくらたちには
 理解できるものではなかった。
 それは愛の変形・・・憎しみなのかもしれなかった。
 故に『愛憎』という表裏一体の言葉があるのかもしれない。

「忍とは『心』の上に『刃』と書くんだよな。だからリチャード・王は残忍なことができるんだよな、って云った。
 小狼君、だいじょうぶかなぁ」

 さくらが小狼に対して心許ないものを感じているのかしらと、知世は思った。

「小狼君が、どうかなされましたか」

 途端にさくらの顔が曇る。

「小狼君、もう大した魔法は使えないんだって。わたしが小龍君を助けてって云ったからなのかな?」

「そんなことありませんわ」

「でも・・・」

 さくらは釈然としなかった。
 ずっと心にわだかまっていた。

「ああしないと、小龍君は助からなかったはずですわ」

 とは云うものの、知世も小狼がまさかあそこまでするとは思わなかった。
 今後も小龍が狙われることを憂いた小狼は、自分の魔力のほとんどを小龍に譲り渡したのだ。

「でも、リチャード・王って人が小狼君を襲ったら、ひとたまりもないよ」

 さくらの心配は、そこにあった。魔法が使えない小狼では、逆らうこともまま成らないだろう。

「その時は、さくらちゃんが小狼君を守ってあげれば良いのです」

「ほえ?」

「大好きな人たちを守ることに躊躇はなりません。中でも小狼君は、特別な『大好き』なのでしょう?」

「う、うん」

 さくらの頬が赤くなる。

「ならば、李君の幸せを第一に考えるべきですわ。例え、李君の思いにそぐわなくても」

 知世がにっこりと微笑んだ。

「そうそう、きょう転校生が来るそうですわ」

 知世がさりげなく話を変える。

「転校生が来るの?」

「ええ」

 知世がそう云った時、ホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。
 みんながガタガタと席に着く。
 担任の先生と1人の少女が教室に入って来た。
 一旦中断したざわめきが再び起こった。

「みんな静かに。本日、転入してきた音無魅優(おとなし みゆう)さんだ。みんな仲良くしてやってくれ」

 担任は云いつつも、無理ないだろうなと思った。
 その少女の目は青くて、髪は長い金色だったから。

「音無魅優と云います。みなさん、よろしくお願いします」

 青い目の金髪の少女から流暢な日本語が出たものだから、面食らったようなざわめきが起こった。



 きれいな歌声が音楽室いっぱいに溢れていた。
 いや、歌声は音楽室だけではなくて、廊下にも流れていた。

「ねえねえ、知世ちゃん。音無さん、合唱部に入ったの?」

 噂好きの柳沢奈緒子が知世に訊いてきた。

「ええ。音無さんは、きれいなソプラノなんです」

 知世に云われるまでもなく、奈緒子にも魅優の歌声はきれいだと思った。

「へえ、そうなんだ。なら、今年のコーラス部は優勝できるかもしれないね」

 コーラス部は、昨年惜しくも都の代表を逃した。
 しばし魅優の歌声に魅入られていたように聞いていた三原千春が、かねてからの疑問を訊いた。

「音無魅優って名前、純日本風の名前だよね。なのに金髪で青い瞳だよね」

「前にいた所は、ロンドンだって云ってたけど」

 奈緒子も首を傾げた。

「ご両親は国際結婚だったそうです。お母様がイギリス人だったそうですわ」

「うわぁ、そうなんだ。それでかぁ」

 国際結婚という言葉に二人ともうっとりとした表情になった。
 夢見る乙女といったところか。
 彫りが深くない顔立ちにも納得がいった。
 魅優は、金髪で目が青い日本人といって良いくらいだった。

 その時、さくらの声が響いた。

「千春ちゃん、奈緒子ちゃん、見つけた。こんな所でさぼっていたのね」

 振り返ると、さくらが息をこらして立っていた。

「しぃ―――っ」

 2人とも、人差し指を愛らしい唇に当てた。

「ほえ?ほえ?」

 とっちめてやろうと、肩を怒らしてやって来たさくらだったが、逆に「静かに」と注意されて戸惑っている。
 どうやら二人とも練習を抜け出したらしい。
 彼女たちはチアリーディング部だった。

「この歌声・・・」

 怒りを削がれたさくらも、魅優の歌声に気がついた。

「さくらちゃん、お怒りのご様子でしたもの」

 知世がクスっと笑う。

「はあ、きれいな歌声だねえ」

 やがて、練習を終えた魅優がさくらたちに気がついて頭を下げた。
 あわててさくらたちも頭を下げる。

「音無さん、すごくきれいな歌声だね」

 寄って来た魅優に、さくらは尊敬の眼差しで云った。

「うふふ。ありがとうございます。でも、大道寺さんの方がずっときれいなソプラノですよ」

 はにかみながら、魅優は知世を見ながら云った。

「いいえ、音無さんの、あの引き込まれそうな歌声は真似できませんわ」

 知世は微笑んだ。

「木之元さんたちは歌わないのですか」

 魅優は、さくら、奈緒子、千春の恰好を見ている。
 さくらたちは運動着を着ていた。

「わたしたちは歌うより動くほうが、どっちかというと好きなの」

 さくらに代わって千春が答える。

「わたしたち、チアリーディング部なのよ」

 奈緒子が云うと、すかさずさくらがツッコミを入れた。

「今はさぼっているけどね」

 さくらのツッコミに、奈緒子と千春が舌を出す。

 キーンコーン、カーンコーン・・・。

「あら、もう下校の時刻ですわ」

 ベルの音と同時に、周りの生徒たちが帰り支度を始めた。
 男子生徒は、もう廊下を走っている者もいた。

「ねえねえ、帰りにアイスクーム屋さんに寄っていかない?」

「あっ、それ賛成」

 奈緒子の提案に千春が即座に賛意を表した。
 さくらと知世も寄っていくと云った。

「音無さんは?」

「わたしは、いいです」

 ちょっと遠慮がちに目を逸らす。

「遠慮しなくてもいいよ」

「わたし、ご主人様が帰ってくる前にお食事の用意をしないとならないので」

「ご、ご主人様ぁぁぁ?」

 さくらたちは、場違いというか、ものすごい言葉が出た気がした。

「ええ、わたし、メイドをしてますから」

「メ、メイドぉぉぉ?」

「はい、そうです」

 いったい音無魅優とは何者なんだろうという顔で、さくらたちは魅優を見ていた。

「ご主人様はイギリス人ですが、お仕事の関係で日本に長期滞在しています。今は小さな別荘でお暮らしで、それでわたし
 1人がメイドとして仕えているのです」

 わざわざ異国にまで付いて来るメイドというものに、さくらたちは感覚がついていけなかった。

「ほおおお」

 ため息ともつかぬ声が漏れた。

「あっ、そうです。今度、遊びに来て下さい」

 話題を変えるかのように、魅優は話を振った。

「遊びになんか行ってもいいの?」

 さくらが、いいのかなと思いながら尋ねた。

「ご主人様は気さくなお方ですから、きっとお喜びになると思います。美味しい紅茶とクッキーを焼いて御もてなしいたしますから」

 心は早や御もてなしに飛んでいるのだろうか。
 にこにこと微笑んでいる魅優が、そこにいた。



 夕日が差し込む部屋で、男は独りチェスに興じていた。

「ご主人様、ただ今戻りました」

「うむ」

 男は振り返ることもなく、駒を進める。

「ご指示通り、彼女たちをお茶会に招待しました」

 その言葉に男の手が止まった。

「そうか。では、いよいよクイーンの出番だな」

 男は黒のクイーンを摘んで盤に打ち込んだ。

「ミユウ、狙いは大道寺知世だ。彼女がチェックメイトの第一歩だ」

「お任せ下さい、ご主人様」

「期待しているぞ」

 夕日は、男の邪な笑みを照らしていた。




 バスの中、さくら、知世、千春、奈緒子の4人はいた。

「お茶会、楽しみだね。どんなお茶やクッキーが出るのかしら」

 さっきから奈緒子ははしゃいでいた。

<ケロちゃんと同じだね>

 さくらは苦笑したいのを我慢しながら聞いていた。

「さくらちゃん、お顔がおかしいですわ」

「えっ、そうお?」

 考えていたことを読まれたのかなと思った。

「奈緒子ちゃん、ケロちゃんそっくりですわね」

 奈緒子に聞こえないように耳元で知世が話した。
 さくらは声を出さないようにこらえて笑った。

「でも、音無さんの住んでいる所って、ずいぶん遠いんだね」

「知世ちゃん家とは反対方向だけど、距離は音無さんの方があるね」

 千春の言葉に、さくらが答えた。

「次ですわ」

 知世が停車ボタンを押した。
 知世が座席から立って、運転席の方に歩いていった。
 それに習って、さくらたちも知世の後に続いた。
 ブロロロローーと音を立ててバスが行った後で、さくらがポシェットから地図を出した。

「うん、こっちだよ」

 地図は簡単明瞭に書かれていたため、さくらは迷うことなく歩き始める。
 やがて、場にそぐわない小さな別荘が見えてきた。
 その別荘は、本当に周りとは合わない感じがした。
 周りは普通の住宅街。なのに、広めの土地にポツンとした家が建っていた。

「なんだか、この別荘だけ別の世界みたい」

「というより、こちらの世界から隔離されている気がしますわ」

 そんな2人の思いとは関係なく、奈緒子は門のベルを鳴らした。
 インターフォンで来客を知った魅優が駆けつけてきた。

「いらっしゃいませ、みなさん。お待ちしておりました」

 魅優はスカートの端を摘んで足を引いて、にこやかな顔であいさつをする。

「ほえ――――っ、音無さん、似合ってるぅぅ」

 魅優は黒のメイド服に白のエプロンを身につけていた。

「なんか、割烹着みたいな感じのエプロンだね」

 千春は見たままの感じを云ったのだが、しかし、胸元が大きく開いているので、やはり割烹着とは違う。

「カチューシャとエプロンのフリルがポイント高いですね」

 メガネのフレームを摘みながら奈緒子が値踏みする。
 清潔感溢れる白が、黒と対照的でよく映えていた。

「ありがとうございます。ご主人様が日本に来たばかりなので、中の片付け物が結構あるのです。それでこのような大きな
 エプロンになってしまったのです」

 魅優が、はにかみながら云った。

「メイド服って、他にもあるの?」

「メイド服は制服ですから、そうそう何着もありませんわ」

 さくらの疑問に魅優ではなく知世が答えたが、

「それが、実はあるのです」

「えっ?」

「ご主人様は日本の女性に大変な興味がございまして、時折和服に割烹着みたいな恰好をさせられます。カチューシャは付
 けていますけど」

 ほおおっと、ため息ともつかぬ声が、さくらたちから上がった。

「一説によると、カチューシャをしていないメイドさんはメイドさんじゃないらしいわ。カチューシャを取ってしまうと死んでしまう
 とも・・・」

「奈緒子ちゃん、それ、どこの説なの?」

 レンズがキラリと光った奈緒子に危ないものを感じたのか、千春は奈緒子から身を引いた。

「もし、別荘がレンガ造りの洋館って感じだったら、明治時代のメイドさんって感じだね」

 千春は、危険を回避したかったので、話題を変える。

「それだと、メイドよりも女中さんじゃない?」

 千春の意見に奈緒子が反論する。
 さくらは頭の中で、和服姿の魅優を想像している。
 名前こそ純日本風だが、目は青くて髪はブロンド。
 しかし、想像の中の和服姿の魅優は似合わなくはない。

「みなさん、それくらいにして、お茶にしましょう」

 魅優がさくらたちを招きいれた。




 芝生の中に白いテーブルが映える。

「きょうはお天気が良いので外にしました」

 テーブルを囲っているさくらたちに、魅優はお茶を配りながら云った。エプロンは先ほどの物とは違って、普通の大きさの
 物になっている。

「そういえば、日本のお茶も外で飲むことがあるそうですね。確か、ええっと・・・」

「野立て(のだて)ですわ」

 懸命に思い出そうとしている魅優に知世が答える。

「そうそう、そうです。野立てと云いました」

 茶道の話になって、さくら、千春、奈緒子の面々は緊張してしまった。

「ごめんなさい。わたしが変な事を云ったばかりに。でも、そんなに緊張しないでください。お茶を飲んで楽しく時を過ごすの
 がイギリス流です」

 これはイギリスに限ったことではなく、どこの国でも共通だろう。
 さくらたちは、お茶を飲みながらクッキーを食べ、やがて話に夢中になった。

「可愛いお嬢さん方。ようこそいらっしゃいました」

 さくらたちの前にひとりの男が現れた。

「あっ、ご主人様。この方たちが、お話したわたしのクラスメートです」

 魅優が立ち上がったので、釣られてさくらたちも一斉に立ち上がった。

「こちらがわたしのドミナスである、フェレディー・M・アンダーソン様です」

 魅優が主を紹介する。

「みなさん、よくお越しくださいました。フェレディー・M・アンダーソンです」

 さくらたちは目を見張っている。ご
 主人様と呼ばれるには、あまりにも若すぎた。

「これから仕事に行かなければならないので、わたしは失礼しますが、きょうは心行くまで楽しんでください」

 若いながらも、英国紳士というものを垣間見た気がした。

「魅優、しっかりと御もてなしをするんだよ」

 爽やかな一風が吹き抜けていった。

「ねえねえ、音無さん。アンダーソンさんって、すごく素敵な方だね。ジェントルマンは斯くあるべし、って感じで・・・」

 奈緒子は、うっとりとした顔だ。

「独身なのかしら」

「はい、でも・・・」

「でも?」

 魅優の言葉に反応するさくらたち。

「ご主人様には、心に決めた方がいらっしゃるのです」

「はあ、儚い夢だったわ・・・」

 奈緒子は、しょげ返った。
 かくして、王子様は白馬に跨っていなくなっってしまった。

「うふふ」

 奈緒子の言葉に、両の指先を口元で合わせ魅優が微笑んだ。

「あら? その指輪はどうなされたのですか」

 左の薬指にキラリと光る指輪があるのを知世が目聡く見つけた。

「えっ? ええ、これはご主人様からいただいた銀の指輪です」

 魅優は右の手の平で左の指を覆う。その仕草が可愛かった。

「アンダーソンさんから?」

 アンダーソンにはフィアンセがいるようだった。
 話からすると、フィアンセは魅優ではないようだ。
 なのに、魅優の指輪はアンダーソンからもらった物だという。

「さくらさん、お茶のお代わりはいかがですか」

「うん、いただきます」

「はい、どうぞ」

 さくらのティーカップに新しいお茶が注がれる。
 魅優は知世の疑問をさりげなく外した。

「そう云えば、音無さんって、名前は日本風なのに目と髪は西洋だよね。どうしてなの?」

 お茶を注いでいる魅優を見つめながらさくらは訊いた。
 さくらに注いだティーポットをテーブルに置いてから、魅優はゆっくりと話した。

「父が日本人で、母がイギリス人だったことは、ご存知ですよね」

「それで名前が日本風なんだね・・・えっ?だった?」

 魅優が伏目がちになった。

「父が留学中に母と出会ったそうです。ふたりは出逢って直ぐに恋に落ちたと、母が惚気てました」

「素敵な出会いだね」

 奈緒子はうっとりとしている。
 というより、魅優の母を自分に置き換えているようだ。
 夢見る乙女といったところか。

「いいなぁ」

 千春は羨ましそうにしている。
 どうやら、山崎との出会いは素敵な出会いではなかったようだ。

「でも、ふたりとも亡くなって、わたしは孤児院に入れられました」

 一転、魅優の声が悲しくなった。

「ご、ごめんなさい!」

 さくらが大きな声で謝った。
 魅優に悲しい過去を話させたと思ったからだ。
 しかし、魅優はにこやかに首を横に振る。

「いいんです。確かに孤児院での思い出は良いものがありませんでした。孤児院を出てから、あるお屋敷でメイドをしてい
 ました。辛かったですけど、そのことがあったから、ご主人様にわたしは出会えたのだと思っていますから」

「音無さんにとって、本当に素敵なご主人様なんですね」

 知世が後を引き取るように云った。

「それはもう!」

 魅優の顔は、春の陽が突然射したように、ぱっと明るい顔になる。

「そこの旦那様のお友達に、ご主人様がいたのです。ぜひ、わたしを引き取りたいと仰ってくださいました。ご主人様もご両
 親が亡くなられて、身の回りの世話をする者がほしかったそうです」

「じゃあ、メイドさんは音無さん1人なの?」

「ご主人様は成功者といっても小さな成功者ですので、何人ものメイドを雇えるほどではないのです。ですから、わたし1人
 です」

「それって大変だね」

「お前には普通のメイド以上の事を望む。だから学ばなくてはならないと仰って、わたしをスクールにも行かせてくださいました」

「はあ、本当に素敵なご主人様なんだ」

 知世が云った言葉を、もう一度奈緒子が云った。
 そこにいた全員の実感だった。

「だからわたしは、ご主人様に尽くします。もし、悪に染まれと云うのなら、悪に染まります」

 決意に満ちた瞳になった。

「素敵なご主人様なら、そんな事は云わないよ、音無さん」

 さくらの実感だったが、

「さあ、どうでしょうか・・・」

 魅優は少し微笑んで答えた。

 それからさくらたちは、たくさんの事を話した。
 学校の事、部活の事。男の友達などなど。
 そして、魅優は歌を歌った。
 さくらたちは魅優の歌声に聴き入っていたのだが、知世は魅入られたようだった。

「もう、お開きにしましょうか。よい時間ですし」

 陽に赤いものが混じっている。
 夕方が近い。

「そうですわね。わたしたち、そろそろお暇(いとま)いたしますわ」

 魅優は玄関へと導く。

「よかったら、これをおみやげに・・・」

 小さな紙袋を手渡される。

「きょう焼いたクッキーです」

 そう云いながら魅優はクッキーを配った。
 そして、さくらには小声で云った。

「さくらさんには、少し多目に入っています。ケロちゃんにあげてください」

「ほえ?」

 さくらは、魅優にケルベロスのことを話したことがあったかなと思った。

「いつだったか、独り言のようにブツブツと云っていましたよ。ケロちゃんは食べ物に目が無くて困り者だって」

「あちゃ―っ」

 目を細める魅優にさくらは顔を真っ赤にした。

「それじゃ音無さん、きょうはどうもありがとう」

 さくらたちはお礼を云って帰っていった。
 さくらたちを見送りながら魅優は小声で呟く。

「ご主人様。大道寺知世、チェック・メイトです」




「それでは、さくらちゃん、また明日」

 知世はそう云って去ろうとしたのだが、さくらが引き止めた。

「知世ちゃん、もう少しいい?」

「?」

「時間まだあるし、そのう、このままケロちゃんと顔を合わせると・・・」

 知世が笑う。

「食べ物のことで、云われるのですね」

「そうそう。そうなの」

 小さくなっているケルベロスは食べ物のことにうるさい。
 いや、食い地が汚いと云うべきか。
 おみやげのクッキーだけでは、さくらは心許なかった。

「わかりましたわ。連絡を入れて、迎えに来てもらうようにしますわ」

 さくらは、ほっとした気持ちになった。



 案の定、部屋に入るなりケルベロスに云われた。
 食べ物の何とやらはと云うが、それにしてもネチっこかった。

<わいは食うもん食って魔力を蓄えなならんのや>

 以前云っていた言葉を思い出していたが、それにしてもとさくらは思う。

<ほえ――――っ、知世ちゃんに来てもらって、よかったよぉ>

 心の中で涙を流していたさくらだった。

「これ、おみやげ・・・」

 魅優にもらったクッキーを全て差し出す。

「ほほぉぉ、美味そうやなぁ」

 期待していないのが見え見えだった。
 それでもパクつく。

「美味い!」

 口をパクパクさせながらケルベロスは沈黙している。

「お世辞抜きに、これホンマ美味いわ。絶品やでぇ!!」

<助かったぁぁぁ。音無さん、ありがとう・・・>

 食い地が張っているだけに、美味いものを食べるとケルベロスは途端に機嫌が良くなる。

「さくらちゃん、良かったですわね」

「うん。音無さんのお陰だよ」

 知世の小声に、さくらも小声で答えた。

「で、お茶会どないやった?」

 話は自然とティーパーティのことになっていく。
 さくらは、クッキーもさることながら紅茶も美味しかったことを話した。

「そりゃ、良かったな」

 クッキーが美味しかったからなのか、ケルベロスにも余裕みたいなものがあるようだ。
 そして、魅優がメイドをしている事にも話は及んだ。

「その娘(こ)、主のことをドミナスって云ったのか?」

「うん、云ったよ」

「ふうん、そりゃあ確かに普通のメイドとは違うかもしれへんな」

「ほえ?」

「どういうことですか、ケロちゃん」

 知世は人差し指を頬に当てながらケルベロスに訊いた。

「ドミナス(Dominus)というのはラテン語でご主人様っちゅう意味やが、語源はドミニオン(Dominion)ちゅう天使から来て
 いるんや」

「ドミニオン?」

 さくらは目をパチリとさせながらケルベロスを見た。

「中級三隊所属で第4位の主天使(Dominions)、天界の行政官でもある」

「ケロちゃんって、物知りなんだね」

「ふっ、ダテに長生きはしとらへんわ」

 胸を張って威張っている。

「その娘、指輪をしてるって云ってたな。主も指輪していたか?」

「ええっと、どうだったかな・・・」

「していませんでした」

 間髪いれずに知世が答えた。

「アンダーソンさんには、心に決めた方がいらっしゃると音無さんが云っていました。だから同じ指輪をしているのはおかしい
 ですし、指輪を嵌めていなかったのは覚えています」

「やっぱりか」

「ケロちゃん、どういうこと?」

「結婚式で指輪を交換するっちゅうのは、互いに枷を嵌めあうちゅう意味や。しかし、主従の誓いでは一方だけが指輪を嵌める。
 こりゃあホンマもんのメイドやで」

「うちのメイドさんにはお給金を払っていますので、それとは違うのですね」

「音無さん、今が幸せみたいだったし。それに、学校まで行かせてくれるからじゃないからじゃないの?」

 恩義を感じているからではないのかという、さくらなりの意見を云った。

「にしても、ドミナスやからなぁ。普通はマスターだと思うんやが・・・」

 ケルベロスは、さくらの意見には納得がいかないようだ。

「ドミナスは日本語で何というのでしょうか?」

「ご主人様や」

「じゃあ、マスターは?」

「旦那様や」

「同じじゃないの!」

 そもそもメイドなるものが日本にはなかったのだから、それを日本語にするには少々無理がある。
 ピッタリと嵌まる言葉がないのだ。

「ドミナスは魂の主従関係と云えるんやないかな。対してマスターは物理的な主従関係・・・給料払ったりとかや」

 考え考えながらケルベロスは云った。

「それって、クロウさんとケロちゃんたちみたいな関係なの?」

「似ているけど、ちと違う。クロウは、わいらを生み出した親でもあるさかい」

「さくらちゃんとケロちゃんたちみたいな関係でしょうか」

 知世は、それではと云って話したが、

「わたし、ケロちゃんたちを従者だなんて思っていないよ。仲良しだもん」

「ですわね」

 知世はさくらの言葉に、あっさりと撤回した。

「なんにしても、普通の間柄やないちゅうことや。なんや気になる連中やな」

 後から思えば、ケルベロスはもっと自分の言葉に忠実であるべきだった。
 だがそれは、この時点で気にせよというのは酷というものであっただろう。

「さくらとわいらの間柄も普通じゃないといえば普通じゃないし。まっ、いいか」

 ケルベロスは、そう云って、この話は終わりになった。




 月明かりが街を照らす真夜中。
 どこからともなく微かに歌声が聞こえる。
 微かな歌声が友枝町に流れていた。
 その街中を夜着に纏った少女が友枝町を徘徊していた。
 不思議なことに、あられもない恰好にもかかわらず、深夜の酔っ払いたちは知世には眼もくれない。
 やがて少女は月峰神社の境内に入った。

「こんばんは、大道寺知世さん」

 知世に声をかける影法師があった。

「・・・・・・」

 知世は答えない。

「うふふ。魔法は効いているみたいね」

 知世の目には生気というものがなく、虚ろな瞳をしている。
 影法師が知世に近づく。
 そして知世を抱きしめ可憐な唇に口付けをした。

「ふっ・・・」

 微かに知世の唇から息が漏れる。

「怖がらなくてもいいのよ。これからあなたを別の世界に連れて行ってあげるだけだから」

 月明かりに照らされた影法師の目は優しくて、それでいてどこか邪な眼をしていた。

「それは困りますのう」

「誰?!」

 不意に背後から声をかけられて影法師は、さっと身を翻す。
 見ると、そこには1人の老人が立っていた。
 髭と髪が白く仙人を思わせる風貌だが、着ている白装束からすると神社の者だろう。

「異人の妖(あやかし)さん。その娘さんは人間ですのじゃ。あんたらの世界にさらって行くのは、やめてくださらんか」

 妖といわれた影法師が身構える。
 月明かりにもかかわらず瞳が青いのがわかった。
 仙人風の老人は妖を前に、涼しげに立っている。

「精霊たちがなにやら騒がしいので境内を歩いてみたら、まさか本当に妖に出逢うとは思ってもみませんでしたわい」

 妖が構える足に力を込めると地面の砂利が鳴った。

「どうやら引く気はないようですなぁ。やれやれ・・・」

 妖とわかってこの態度。
 いい度胸というべきか。
 どこに隠し持っていたのか、左手に白木の棒のような物を握っていた。
 そして右手で端を掴んで抜いた時、キラリと光った。
 その動きはゆっくりとした舞いを舞っているようだ。
 刀を突きつけられた。

「さっ、退きなされ」

 突きつけられた刀身に3本の刃紋が見えた。
 その刃紋は一直線を描き、切っ先に沿って1つになっていたが、切っ先の方は少し乱れていた。
 乱れた形の刃紋はあたかも鳥のようで、3本の刃紋は鳥の飛行跡を思い出させた。
 影法師は息を呑んだ。突きつけられた刀から力を感じた。

「これは、ただの刀じゃありませのじゃ。この神社の御神刀ですのじゃ」

 足元の砂利が鳴った。老人が半歩寄ったのだ。

「くっ」

 呻くような声と共に身を翻した影法師は、この場から逃げた。

「事なきを得たか」

 ぱちんと鳴らして刀を白木の鞘に収める。そして、妖にかどあかされそうになった知世の顔を覗き込んだ。

「おや、この娘さんは確か孫娘と関わりがあったかと・・・。やれやれ、お迎えが近いせいか記憶の方もさっぱりじゃて」

 老人はため息をついた。

「なんにしても、この娘さん、妖に魅入られたようじゃのう。難儀な事じゃて」

 茫々と生気のない瞳をした知世の手に、魔除けのお守りを握らせた。
 が、老人は気がつかなかった、すでに知世には魔法をかけられたのを。



 続く


  オールド・ハワイコナさんのSS  『CCさくら〜黒衣の花嫁〜』第6話の掲載ですぅぅぅ。
  
  ドミナスとマスター、違いが良く解りました〜。
  為になるSSです。

  知世にかけられた魔法はいったい・・・??


  どうなる次回!!!   (((o(^。^")o)))ワクワク 

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