愛&美雪 越中路の旅 |
2:雪の中の岩魚釣り
次の日の朝、愛と美雪は遅目の朝食を食べた後、宿の主人の車に乗り込み、昨日出会った平村の岩魚釣りの名人、
高熊 吉之助の自宅に向かった。
愛と美雪が宿泊しているこの宿は、先代の主人が生前高熊の友人だったこと、昔宿に岩魚を卸していたことなどから
高熊とは旧知の仲である。昨夜宿での夕食の際、宿の女将が高熊の家に電話し、高熊に愛と美雪を岩魚釣りに連れ
ていって欲しいと頼み、話を付けてくれたのである。
「ならお客さん、気を付けてな。冬の谷川は雪崩なんかが多いでな。」
宿の主人は愛と美雪を降ろしていった。
愛と美雪は主人から借りた岩魚釣りの道具、それからカンジキとウエーダー(腰くらいまである長い長靴)、昼食の弁当
を持って高熊の家の玄関にはいった。
「おはようございまーす!」
2人は玄関で高熊を呼んだ。中からもう既に釣り支度をしている高熊が出てきた。
「おう、来られたか。なら行こうけ。」
愛と美雪は高熊の運転する軽自動車に同乗し、ここから少し庄川を下った所で合流する支流で釣りをすることとなった。
愛と美雪は、防寒服にウエーダー、カンジキと今まで一度も経験してないいでたちで、川に向かった。
先頭は当然高熊で、彼は後から来る愛と美雪の為、雪を踏み分けて道を作りながら川へ降りていった。
愛と美雪は恐る恐るその後に続いた。
まず高熊は、2人に仕掛けの作り方を教えた。
「ええか?こういうふうに作るんやで。」
2人は竿を伸ばし、高熊の言われた通り仕掛けを作ろうとする。
美雪は何とかうまく作っているが、愛はなかなかうまく行かない様子である。
「あーん、うまく出来ない・・・。」
愛は悩んでいる。高熊は笑いながら、
「ハハハ、こうするんや。」
と愛の手をとり、仕掛けを作ってやった。
「ねえお爺さん、餌は何を使うの?」
美雪が尋ねると、高熊は、
「岩魚は色々な餌を食うが、一番ええのは川の石の裏なんかに住んでおる『川虫』や。ほれ、見ててみい。」
高熊はそういうと川に入り、右足で川底の石を起こし、その下に玉網を置いた。
石の下から何やらごみのような物がたくさん流れ出ている。
高熊は網の中を見せた。そこには見慣れない虫がたくさん入っていた。
「きゃあー!嫌だー!恐ーい!」
愛が奇声を上げ、美雪に抱き付く。美雪は高熊にこういった。
「お爺さん、愛は虫が苦手なんですよ。ハハハ・・・。」
高熊はにんまりと笑い、魚篭の中からイクラの入った瓶を出した。
「ハハハ、そういうと思うてな、これを持ってきたんや。川虫ほどでもないが、これもいい岩魚の餌やで。」
愛と美雪はほっと胸をなで下ろした。
「なーんだ、ハハハ、驚かさないでよ!」
「よかった・・。」
3人とも仕掛けが出来ると、まず高熊は愛と美雪に釣り方、川の歩き方などを教えた。
「ええか、岩魚はな、上流から流れてくる餌をまっとるんや。それでな、鯉釣りなんかとは違ってポイントの上手に餌を投
げて、餌をポイントに流し込んでやるんや。もしアタリがなければまた竿を上げてまた流すんや。同じ場所を2、3回流し
てアタリがなければ、別のポイントに移動して、上へ、上へと釣りのぼるんや。後岩魚は警戒心が強いから、決して余
計な物音を立てたり、川の中をじゃぶじゃぶ歩いたりせんように。」
高熊はまず岩魚釣りの基本を説明し、自分が実際に釣りをして手本を見せた。
まず高熊は降りた所から少し上に移動し、ちょっとした落ち込みの脇の流れの緩い所に餌を投じた。
するとすぐ目印が止まり、流れに乗って流れていた仕掛けが動かなくなった。「ほれ、これが岩魚のアタリや。すぐに合わせなんで、少し送り込んでから合わせるんや。」
高熊は竿を持つ手の手首を少し起こし、合わせた。
すると25pくらいの岩魚が水面を割って躍り出た。高熊は馴れた手つきでそれを取り込み、腰の魚篭に入れた。
「さすが!うまい!」
2人は拍手を送る。
高熊は2人にも釣りをさせる。
「愛ちゃんはあそこの岩のエグレ、美雪ちゃんはあの深みを狙ってみられ。きっと岩魚がおるで。くれぐれも魚を驚かさん
様になぁ。」
2人はそおっとポイントに近付き、竿を出した。まず、愛の仕掛けの目印が重々しく止まった。
「キャ!釣れた!釣れた!」
愛が合わせをくれると、それは30pくらいの大きな岩魚である。
しかし愛はその魚の大きさに圧倒されたのか、竿をなんと固めているだけで取り込むことが出来ない。
高熊は指示を与えた。
「抜け!河原に抜き上げるんや!糸も太いでそうは切れはせん!」
こういう時の為、高熊は2人に比較的太い仕掛けを使用させていた。
愛は目をつむり、
「エーイ!」
と掛け声を上げ、魚を抜き上げた。
だが余りにも勢いがあり過ぎて、その魚の体は高々と飛び上がり、川の脇の雪の上に放り投げられてしまった。
美雪と高熊はそれを見て笑った。
「ハハハ!愛、力入り過ぎだよ!」
「ハハハ、そんなに力をいれんでも、ちょいと持ち上げるだけでええのに・・。まあわしがとってきてやるで、ちょっと待っと
ってくれんかの。」
高熊はカンジキをはき、雪の中をラッセルしながら魚を捕りに行った。
岩魚は雪の上でばたばたしていたが、それは尺(30p)を少し上回る大物である。
「たいしたもんやなぁ。愛ちゃん。初物が尺物やで、これはついとるで。」
高熊は岩魚を愛の魚篭に入れようとした。しかし愛は涙ぐみ、
「いやーん、恐いー!」
と逃げようとする。高熊は笑い、
「大丈夫じゃよ!とて食いやせんて、安心しとれ!」
と愛の魚篭に魚を半ば強引に入れた。
「中で魚がコトンコトン、ていってるんですけど・・・・。」
愛は心配そうに高熊の顔を見る。高熊は笑って、
「なーに!大丈夫じゃよ!そのうち魚篭の中で死んじまうで、安心して釣りするこっちゃ。」
と愛の背中を叩いた。
しかし美雪はなかなか釣れない。
「一個所であまり粘らん方がええ。」
との指示通り、次々ポイントを変えてるのだが、何故か一向にアタリがない。
大岩があり、その近くのエグレで、美雪はアタリを感じた。
「よし来た!・・・あれっ?」
美雪は魚をかけたが、バラしてしまった。
「早く合わせるとこういうことになるんや。もう少し送り込んでみい。」
指示を出す高熊に、美雪が質問する。
「もう一回あそこ狙ってもいい?」
高熊はウーンとうなり、答えた。
「普通岩魚は一度バラスとなかなか釣れんが、そうとは言い切れん場合もある。もう一度やってみられい。」
美雪はまた同じポイントに餌を入れた。するとまたアタリが来た。
「よし!来た!」
しかし美雪が釣った岩魚は、チビ岩魚だった。
「ちっちゃーい!ハハハ・・・。」
美雪は苦笑いする。高熊は、
「悪いがそういう小さいのは逃がしてやってくれんかのう。そういうのは来年の分や。」
と指示した。美雪はしぶしぶと岩魚を川に返した。
でもさすがは美雪。
そのすぐ上のポイントで、先程の愛が釣った物ほどではないが、なかなかいい型の岩魚を釣り上げた。
「奇麗・・・。」
美雪はその岩魚を見て、その魚体の美しさに惚れ惚れした。
更に上に釣り登ると、ドドーッという音がしてきた。どうやら滝の音のようである。
「よし、そろそろ今日の終点や。この先に滝がある。その先は川も滝なんかが多くなって歩きにくいし、今の雪がある時
期は午前中で引き上げた方がええんや。午後になると気温が上がるでな、雪が解けて川の水温が下がったり、(雪解
け水で)増水したりするでな。」
少し上のカーブを曲がると、そこには大きな壷を構えた滝が出てきた。
高さはそうでもないが、その滝壷は深く、大きい。
「ここは大きいのがおるで、注意してかからんといかんでな。仕掛けを長いのに変えるで。」
それまで3人は全長1ヒロくらいの短い仕掛けを使っていた。しかしそれではこの滝壷は探りきれない。
そこで高熊は、用意してきた長い仕掛けをセットした。
愛は、
「お爺さん、私疲れちゃった・・・。」
といって河原の石の上に座り込んだ。高熊は苦笑いしながらも、
「ハハハ、なら休んどればええ・・・。」
と愛に言った。この滝壷に、高熊と美雪が挑むこととなった。
「美雪ちゃん、余り前に行かん様にな。魚が驚いちまうで。」
高熊から指示を受け、美雪は静かに右岸の岩の上に移動する。高熊は反対側を攻める。
「ウワッ!」
美雪の頭の上に、雪の固まりがどさっと落ちてきた。美雪の頭の上にある木の枝から落ちてきたのである。
頭が雪まみれになる美雪。
「ハハハ!」
愛と高熊は、それを見て笑った。美雪は頬を膨らませ、釣りを再開した。
「よし来た!」
美雪が岩魚をかける。しかし釣り上げてみるとそれは8寸くらいの中型である。
「ちょっと小さいかな・・・?」
呟く美雪。
しかしおかしなもので、それからしばらくの間、美雪、高熊ともアタリがない。美雪は、
「どうしてだろう・・・。いそうなのに・・・。」
と愚痴をこぼした。高熊は真剣な眼差しで答える。
「こういう場合、大きなのがおる場合があるんや。大きな魚が食い気を起こして動き出すと、他の小さな魚がおっかながっ
て散ってしまうことがあるんや。こういう時は場所を変えずに粘るんや。魚がじれて餌を食うのを待つんや。」
美雪と高熊が滝壷を釣り始めて30分近くなった。そろそろ12時を回る頃だから帰ろうか、と美雪が言い出そうとしたそ
の瞬間、名人高熊の竿が弧を描いた。
「き、来たで!」
高熊はそう叫び、やり取りを始める。腰を落とし、じっくり竿のタメを効かせる。
しかし魚はかなり大きいのか、なかなかその姿を見せない。
愛と美雪は固唾を飲んでそれを見守る。
数分後、その魚は高熊の玉網に納まった。
「大きい・・・。」
美雪と愛はその岩魚を見て驚いた。それは40pを優に超す大岩魚だったのだ。
大ベテラン高熊もかなり興奮しながら、
「こんな大きいのがこの時期釣れるんは、なかなかないことや。まあ今は水温がまだ低いで、餌をあまり食うとらんせい
で痩せてはおるがな。」
と呟いた。
「さあ、昼飯にしようか。」
高熊は竿をしまい、昼食用の弁当を広げる。そして近くの石清水の水を汲んできて、それで湯を沸かし、お茶を作った。
「どや、自然の水を沸かして作ったお茶やで。」
高熊はそのお茶を愛と美雪にも与えた。
「おいしい!」
「やっぱり天然の水、て感じ!」
2人は水道の水でもミネラルウォーターでもない、石清水で作ったお茶が相当美味かったらしい。
「そうけ。まあこういう風な山の清水は美味いもんや。水道の水なんかにはない新鮮さがあるでな。ただええか、川の水
なんかは気を付けた方がいいで。上流に人の家や田んぼ、キャンプ場や山小屋なんかがある所の水は飲まん方がい
いで。」
高熊は次に、みずからが釣った岩魚を料理し始めた。
先程の大きなのは刺し身にし、その骨をぶつ切りにして岩魚の味噌汁を作った。
「こういう谷川の岩魚は刺し身にして食えるんや。新鮮度抜群やでな。2人とも生ものは大丈夫かな?」
高熊はそう言いながら、まだ息をしている大岩魚をさばいている。愛はそれを怖がった。
「嫌だ〜!まだ生きてるの食べるの〜?」
愛は美雪に抱き付き、わなわなと震えている。美雪もちょっと可哀想なんじゃない?という風な目で岩魚を見ている。
高熊は言う。
「岩魚は痛みやすいで、生で食うなら生きてる奴でないと駄目なんや。それにこうして釣った魚はちゃんと自分で食ってや
る、それが魚の供養になるんやないかな?」
(言っておきますが、小さい魚まで持っていて食べろ、と言ってるのではありません・・・。悪しからず)
高熊は愛と美雪に刺し身と味噌汁を薦める。
愛はなかなか食べようとしなかったが、美雪は恐る恐るそれを口に運んだ。
「・・・お、おいしい!昨日の宿の岩魚より全然おいしい!愛も食べて御覧よ!」
愛は”そう言われてみると自分も食べてみたいな”、というような心境になり、結局岩魚の刺し身を食べる事にした。
「・・・どや?」
高熊は愛にそっと尋ねる。愛は、
「おいしい!こんな新鮮な魚食べるの初めて!」
と感動してる。
高熊はこういった。
「しかしこの辺も昔に比べりゃ岩魚も少のうなったで。人は増えたし、工事なんかも多くなったし、木の伐採なんかもひどく
なった。今こうして天然の岩魚を食えることこそ、わしは幸せなことじゃと思うとる。今旅館なんかで出すのは殆ど養殖
物なんやが、あれはうもうない。天然物に比べりゃ油が全然のっとらんし、味もない。本当、つまらん世の中になったで・
・・。」
高熊はどこか遠い所を見つめているような目をしていった。
愛と美雪はそれを聞いて、何だか複雑だが、いい話を聞かせてもらった、と思った。
その後愛、美雪は高熊と川を降り、宿に帰った。愛は3匹、美雪は5匹という釣果である。
しかし愛の魚篭には、32pという立派な大岩魚が納まっていた。
それでも高熊は立派な物で、2人に先行を譲り、自分は後を追う形を取りながら、10数匹の岩魚を魚篭に収め、更には
先程出てきた40pオーバーの大岩魚をも釣り上げたのである。
愛と美雪はその夜、宿の女将に頼んで釣った魚を料理してもらった。
それぞれ2匹ずつ焼いてもらい、後は宿の人たちに差し入れた。
しかしその岩魚の美味かったこと!コンロではなく、炭火で焼いた天然岩魚だけに、その美味さは格別であった。
宿の女将は2人の為に三味線を持ち、五箇山の民謡「こきりこ節」を唄ってくれた。
その晩、愛と美雪は本当に気持ちよく眠りに就いた。
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