愛&美雪 越中路の旅


1:越中五箇山にて




 富山県の石川県よりに、高岡市という小さな街がある。

 そこにある北陸本線高岡駅で、愛と美雪の2人は列車を降りた。

 駅の売店で2人は早速富山名物の「鱒の鮨」を買い、駅の待合室でそれを食べた。

 
 この鱒の鮨とは、春日本海から遡上する桜鱒を素材とした押し寿司で、古代の文献でも確認されており

 かなりの歴史と伝統を持つ物である。



「愛、鱒の鮨はどう?」

 美雪が尋ねる。愛はこの鱒寿司を食べるのは始めてなのだ。

「うん。あっさりしてておいしい。」

 愛はにっこり笑って答えた。

 朝から鮨というのもおかしいが、「せっかく富山に来たのだから」、と2人はこれを買い込み朝食にしたのだ。


 2人はバス停留所に向かい、そこでバスを待った。

 今日の目的地は、この高岡から庄川を溯った所にある五箇山である。

 そこは飛騨の白川郷の一歩手前で、周りを高い山に囲まれた山間のひっそりとした山村である。

 白川郷同様、「平家の落人の里」、「合掌造りの里」としても知られる。

 市町村名で言うなら、平村、上平村、利賀村の3つにまたがっている。



 バスが停留所にやってきた。

 ここから五箇山までは、2時間半はかかる。

 バスのルートは砺波市から城端町に入りそこから山を越えるルート、庄川町から庄川を溯るルートの二つ

 であるが、いずれにしてもその便数は1日3本くらいしかない。

 昔人々がこの五箇山に行くには相当大変だったらしく、昔は罪人が逃げ込んできたり、加賀藩の流刑地に

 指定されたこともあったらしい。だからこそ合掌造りを代表する独自の文化が今も残る所なのである。



 バスから庄川峡を望み、美雪は感嘆の声を上げた。

「凄いねー、海からすぐにこんな渓谷になるなんて。これは昔の人は大変だったね。」

「そうね。昔冬になると良く行き倒れの人が出たらしいね。」

 2人の言う通り、富山は海からすぐの所に2000、3000m級の高い山がたくさんあり、このように海から入

 るとすぐに深い山間部になるという特徴がある。

 しかし五箇山は麓に比べて雪が非常に多く、春の訪れも遅い。

 麓の富山、高岡辺りはもうすっかり雪も消えていたが、庄川を溯るにつれて段々雪は増え、平村の集落辺り

 は積雪1mを優に超えていた。麓と違い、この辺りはまだまだ冬である。

 愛と美雪の2人はこの日、岐阜県境近くの民宿に泊まる予定だった。

 しかしその辺りよりも平村の上梨集落周辺の方が観光名所が多い為、2人はまずここでバスを下車し、あち

 こちを見て回り、夕方の最終バスで宿に向かうことにした。

 ここにも民宿はあるが、悪いことにこの日は団体客に貸し切りにされていたのである。



 美雪と愛はバスを降りると、まずその辺りの雪深さに驚かされた。

「凄い雪だね。信じられない!」

 美雪が感嘆の声を上げると、愛は、

「雪で家がつぶれたりしないかしら?」

 と言い出した。美雪は大笑いし、

「ハハハ!愛らしい発想だよ!」

 といった。愛は頬を膨らませて、

「もう!美雪ちゃんったら!」

 と文句を言った。

 2人は辺りを歩き始めた。
 
 この上梨集落は合掌造りの集落として知られ、圧倒的に合掌造りの家が多い。

 2人は相倉合掌集落、流刑小屋など、色々な観光名所を見て回り、国道添いの食堂で昼食を食べた後、
 
 「五箇山温泉」の元湯に行き、温泉に入った。

 この元湯は茅葺きの合掌造りの建物で、いかにも五箇山、といった感じである。

「はーっ!気持ちいい!」

「今日は寒いから、生き返るね。」

 温泉の中は人もまだまばらで、愛と美雪は久々の温泉を楽しんでいる。

 2人は程なく湯から上がると、凄く眠くなってきた。

 無理もない。2人は昨夜急行列車の中で充分な睡眠をとってないのだから・・・・。

 2人は元湯の休憩室でしばし睡眠をとることにした。



 夕方になり、2人は目を覚まし、バス停に行った。

「さて、帰ろうか・・・・。えっ!?」

 美雪はバス停の時刻表を見て、急に青ざめた顔をした。

「どうしたの?美雪ちゃん?」

 愛がそう尋ねると、美雪はバス停の時刻表を指差した。

 前にも書いたように、この辺はバスの便数が非常に少ないのだが、もう時刻は最終バスの到着時間をとっく

 に過ぎてたのだ!

「エー!これじゃあ宿にいけないよー!」

 愛は泣きそうな顔をしている。美雪がボソッと呟いた。

「ここから上平の宿まで、歩いて行くわけにも行かないし・・・・・。」

「どうしよー?これじゃあ宿にいけないよー!」

 愛はすっかり動揺している。美雪は、

「しょうがない、宿に電話でもしてみようか・・・。」

 と携帯電話を取り出した。しかしここは山の中、電波が届かず、電話は通じない。

 2人はすっかり困惑していた。そこに1人の通り掛かりの老人が声をかけた。

「おやおや、おまえさんがたバスに乗り遅れたんかな?ハッハッハッ!」

 美雪が、

「悪かったね!」

 といわんばかりにムッとすると、老人はやんわりとした表情で、

「まあまあ、そう怒りなさんな。今日どちらにおとまりかな?何?上平?そりゃ大変じゃ。まあうちはこのすぐ近

 くやし、宿に電話して迎えに来てもらう様ゆうてやるわ。ここは寒いし、どや?うちのいろりで少し暖まってい
 
 かんか?ばあさんと孫がおるがな。」

 2人は顔を見合わせる。老人は笑っていった。

「ハハハ!ここは東京みたいな物騒な所やない。あんたらに危害なんか加えるもんか。まあ困った時はお互い

 様やでまあ遠慮せんで・・。」

 と2人を家に連れていった。



 老人は名前を高熊 吉之助といった。

 何でも前にバス会社に勤めていたことがあるそうで、今でも良くこういう風にバスに乗り遅れた旅人を世話し

 てやることがしばしばあるという。

 愛、美雪の2人は高隅の家の囲炉裏に案内された。

「わー、本当の囲炉裏だ!私はじめて!」

 愛は感動している。2人は甘酒と餅を頂いた。

 囲炉裏端では高熊夫妻とその孫3人、および愛と美雪が座り、暖を取っている。

「あんたがた東京からきたんか。向こうは雪がなくてうらやましいなあ。わしらの所は冬には4mくらい雪がつも

 るで、大変でしょうがないて。」

 囲炉裏端で餅を焼くばあさん(高熊の妻)がこういった。

 美雪は高熊に尋ねた。

「所で息子さん達は・・?」

 高熊は少し悲しそうな顔をして答えた。

「それがな、この辺は働く所が少ないやろう。そういうもんやで、わしの倅達はみんな金沢や名古屋、大阪とか

 都会の方にみんな働きに行ってしもうた。この孫達はわしの長男の子供や。長男の嫁はんが入院中でな、
 
 仕方なくいまこの子達の面倒をわしらが見とるわけや。こんなつまらない田舎に住ませてしもうて、この子達

 には済まんと思うとる。」
 
 少し物悲しいムードになってしまったが、美雪は囲炉裏の上に吊るされている見慣れない魚の薫製に目をや

 った。

「お爺さん、あの魚は・・・?」

 愛も不思議そうな顔をしている。高熊は答えた。

「これはな、この辺の谷川に住んでおる、『岩魚』という魚じゃよ。昔この辺じゃあ海の魚が手にはいらんで、こ

 れをタンパク源にしとったんや。結婚式なんかではこれを焼いたのを酒に入れて『骨酒』を作って飲んだりす

 るんやで。川魚の中でもかなり美味い魚やで。」

 2人はその岩魚の薫製を不思議な目で見ていた。

「どうしてこういうふうに囲炉裏の上に吊るしておくんですか?」

 今度は愛が尋ねる。高熊はそれにこう答えた。

「ハハハ!これは「焼きからし」といってな、こういうふうに囲炉裏の上に吊るして薫製にするんや。そうすれば

 腐らせずに何日でも持たせることが出来るんや。要は保存食じゃよ。」

 この辺りは豪雪地帯の為、冬は食べ物が少なくなる。ここに限らず、こういった雪国の山間部では様々な保

 存食が作られていることが多い。この辺りでは山菜もよく漬物にして保存食にする。

「フーン、なるほど・・・・。」

 2人は山国独自の文化、生活の知恵に感心し切っている。

 ばあさんが2人に言った。

「この爺さんはこの辺で一番の岩魚釣りの名人や。昔はこの辺の民宿なんかによく釣ってきた岩魚を降ろして

 おったんや。余りにも釣りにこっとるもんで、昔ワシは爺さんお釣道具を壊して文句を言ったりしたこともある

 んや。ハッハッハッ・・・。」

 高熊は照れ笑いをしている。

「ハハハ、そういうこともあったのう!」

 愛は高熊に尋ねる。

「という事はこの岩魚、お爺さんが釣ったんですか?」

「そや。定年になってから、毎日のように釣りに行っておるんや。」



 程なく宿から迎えが来て、愛と美雪の2人はようやく宿に入った。

 夕食が準備された。おかずには岩魚の塩焼き、刺し身などもあった。

「女将さん、これが岩魚ですか?」

 美雪は岩魚を指差し、宿の女将に尋ねた。

「そうです。これが岩魚ですよ。そう言えばお客さん方、高熊の爺さんに会ったそうですな。」

「そうです。あのお爺さん、岩魚釣りの名人だそうですね。」

「ええ、そうですよ。昔私が子供の頃、ここにも岩魚を卸しに来とりましたで。」

 女将はそれからその高熊のことを話した。

 高熊は今でもこの辺一の岩魚釣りの名人として知られており、釣り作家などの取材の世話をした経験もあ

 るらしい。

 女将は手をポン、と叩いてこういった。

「そうや、お客さん、高熊さんと岩魚釣りにでもお行きにになればどうですか?この辺は岩魚の宝庫ですで、き

 っといい経験になるとおもいますで。道具ならうちにありますで、貸してあげてもいいですよ。」

 愛と美雪は首をかしげている。2人は釣りの経験は皆無といっていいくらいである。

 特に愛は。

 2人は顔を合わせる。美雪は少し考え込んで愛にこう言った。

「まあ、せっかくこういう所にきたんだし、行ってみようか?」

 愛は少し悩んだが、美雪がいくなら、とそれに同意した。




 傑作だったのがその日の夜、宿の風呂に入った時のことである。

 2人は一緒に風呂に入ることにした。2人は脱衣場で服を脱ぎ、風呂場に入り、まず愛が風呂の水面に浮い

 ている蓋を取って湯舟に体を沈めた。しかし愛はすぐさま、


「あっつーーーーーい!!!!」
 
 と絶叫し、湯舟の中から飛び出して足の平を抑え、うずくまった。美雪は慌てて愛の足の平に水をかけて冷

 やしてやった。

「どうしたんだよ、愛?」

 美雪は心配そうに声をかける。愛は涙ぐんでこたえた。

「・・・・・お風呂の底、底がぁ・・・・」

 愛が言うには、愛が湯舟に浸かり、足を湯舟の底に付けた時、物凄い熱さを感じたのだという。

 美雪は湯舟を覗き込んだ。

「ああ、これは昔のお風呂だよ。『五右衛門風呂』って知らない?」

 そう、美雪の言う通り、この風呂は湯舟の下にあるかまどで湯を沸かす『五右衛門風呂』だったのだ。

 愛はそうとは知らず、普通の風呂のように蓋を取って入ろうとしたのである。

 美雪は腹を抱えて大笑いしている。

「ハハハハ!愛ったら知らなかったんだ!まるで弥次さん北さん(東海道中膝栗毛)みたいだね! これはね

 、こうして蓋を足で沈めて、湯舟の中層くらいの所にある留め金に蓋を固定してから入るんだよ。私がやるか

 ら。」

 愛は「自分はなんて馬鹿なんだ」という顔をしながら美雪と共に風呂に入った。




 入浴後、2人は部屋に行き、布団に入った。

「あー、疲れたね!」

 美雪は布団の上で体を伸ばす。愛は寒そうにしている。

「美雪ちゃん、寒くない?」

 それもその筈。ここは東京よりも遥かに冬の寒さが厳しい所である。ここら辺はまだ冬なのだ。


 美雪は愛の布団に入り、愛を抱き締めた。

「み、美雪ちゃん、何?」

 愛は動揺している。美雪は優しい声で愛にこう囁いた。

「寒い時は、こうするのが一番なの・・・。」

 美雪は愛を優しく両手で包み込む。愛は何だか安心した気持ちになった。

「・・・暖かい・・・・。」
 
 2人は程なく眠りに就いた。



H.Saitouさんへの
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