ただ風のために
この町にやってきたのは、あなたのことを忘れるためじゃない。
あなたと別れたのはちょっとした行き違い。
大学の寮に入って遠距離恋愛になったとき、本当は少し心配だった。
でも私は、夢をあきらめるのは嫌だった。
一度はあきらめたけど、あなたが思い出させてくれた夢だったから。
だから、心の中の小さな不安には気がつかないふりをしていた。
毎日だった電話が、1週間に1度、1ヶ月に1度と減っていっても、あなたも忙しいんだからと納得しようとしていた。
本当は、不安だったのに。
本当は、さみしかったのに。
意地を張って、こちらからは連絡を取らなかった。
本当は、薄々気づいていた事実から、目を逸らそうとしていたのかもしれない。
そして、あの日。
あなたに会いたくて、先負町に帰ったあの日。
見慣れた、あなたのアパート
あなたの部屋のベランダで、幸せそうな笑顔で洗濯物を干していたあの子。
横で微笑みながら見ていたあなた。
そのときやっと、わかったの。
彼女の幸せそうな笑顔は、少し前の私の顔。
あなたの微笑みを受けていたのは少し前の私。
だから私は、あなたにさよならするの。
でも、私はあなたを恨むつもりはない。
私たちはお互いに、少し意地を張りすぎていただけだから。
あなたの周りには、いつもすてきな女の子がいる事がわかっていたから。
そして、私もあなたよりも自分の夢を選んでいたことに気がついたから。
あなたのことを忘れるつもりはない。
あなたは、怪我で走ることをあきらめようとした私に、もう一度、走ることを思い出させてくれた人だから。
私に、夢を追いかけることを、思い出させてくれた人だから。
だから、この町で、あなたへの気持ちに整理がついたら。
もう一度会いに行くつもり。
あなたに直接さよならを言うために。
笑顔でさよならをするために。
「さて、やっと美穂に連絡が付いたし。明日約束に遅れないように、ろそろホテルに戻らなくっちゃ。」