Here Is My Heart〜You are not alone |
作者: オールド・ハワイコナさん
BGM: 「Sensual」 by ナサさん
わたしが新藤家を追い出されてから、どれくらいの月日が経ったのだろうか。
あの日は、何時のことだったのだろうか。
つい昨日のことのようにも思えるし、ずいぶん昔のことにも思える。
新藤家のボディーガードをクビになった理由は、新藤家の麗子お嬢様と情を交わしてしまったからだ。
お嬢様を守るべきボディーガードにあるまじき行いと云えるだろう。
なぜ、こうなってしまったのか。
守るべき存在としての麗子お嬢様が、もう一段高い守るべき存在となってしまったからに他ならない。
思えば随分と手を焼かされた。
我が儘も云われた。
特に篠原のお嬢様の事では手こずらされたものだった。
いつしかその我が儘ぶりが可愛く思えた。
新藤家の人間としての矜持を保つために、天の邪鬼な、高飛車な態度に凝り固まった。
本当は寂しかったのだ。
誰もが新藤家のお嬢様という立場でしか、麗子お嬢様に接しなかった事に。
そのことに、わたしは気づいた。
気づいてしまった。
気づかなければよかった。
麗子お嬢様の心の有り様を知ってしまったわたしは、お嬢様を愛おしく思うようになった。
ある日、いつものように篠原いずみ様と言い争いになったときの事だ。
いずみ様に<あなたには友達がいないのよ>と云われたらしい。
いずみ様には、社長令嬢にも係わらず、そんなことを気にしないで言い合えるお友だちがたくさん居た。
翻って麗子お嬢様には、そんなお友達は居なかった。
そのことは、ご自身が一番よく知っていた。
<みんな、わたしを新藤家のお嬢様としか見てくれない。誰もわたしの事を分かってくれないのよ>
麗子お嬢様は泣きながら云った。
テーブルに伏せながら泣いていた。
わたしはお嬢様を励まそうと思い、咄嗟に云ってしまった。
<わたしが居ます。本当のお嬢様は心の寂しい、けれども優しい女性だということを、わたしは知っています>
麗子お嬢様は、虚を突かれたように顔を上げた。
その顔は涙にくれて、くしゃくしゃだった。
そこには高飛車で、虚勢に固まったお嬢様は居なかった。
わたしはお嬢様を抱きしめた。
<わたしはいつでもお嬢様のお側に居ます>
お嬢様を力一杯抱きしめた。
<なりぽし‥‥‥‥‥‥‥‥>
お嬢様の両手がわたしの背中に廻った。
わたしの腕の中の麗子お嬢様は我が儘ではあったが、抱く度に姿を変えていった。
ある時は寒さの中に凛と咲く梅の花のようであったし、桜の花のように美しかったこともあった。
またある時は夏に咲く向日葵のように眩しかった。
そして秋桜のようにしっとりと静かな事もあった。
だが、夢のような日々も長くは続かなかった。
夢とは叶えるか、醒めてしまうものらしい。
あれは、麗子お嬢様の誕生日のことだった。
わたしは迂闊にもお嬢様のバースデー・プレゼントを忘れていた。
今さら買いに行ける暇もなく、忘れていたことを正直に告げた。
するとお嬢様は、もう貰ったと云う。
わたしには贈った記憶はなかったのだが‥‥‥‥‥‥。
次なるお嬢様の言葉は驚天動地であった。
わたしにとっては文字通り地が動いた。
お嬢様のお腹の中には子供が居るという。
わたしの子だとお嬢様は告げた。
どうしてよいのか、わたしには分からなかった。
一介のボディーガードにすぎないわたしが、お嬢様に産んで下さいとどうして云えようか。
わたしは逡巡した。
いたずらに日を重ねる毎日だった。
だが、このようなことは隠せるものではない。
旦那様の知るところとなった。
わたしは解雇通告を受けた。
叱責は無かったが、定岡の後輩と云う事も有って目をかけたきたのに、とだけ云われた。
それだけに、わたしは取り返しの付かない事をしでかしたのだという罪の深さを知った。
旦那様は抑揚のない言葉をもって、即刻出ていくように告げられた。
お嬢様の声が今も心に木霊する。
<なりぽし、なりぽし、なりぽしぃ〜>
あの聡明なお嬢様が、ただただ泣き叫ぶだけであった。
あれからどれくらいの月日が経ったのだろうか。
お嬢様の誕生日は木枯らしの吹く季節であったが、今はもう暖かい季節だった。
わたしは境町と云う街に流れ着いた。
今はここで、危険なアルバイトをして糊口をしのいでいる。
なにやら外資系の企業が海岸で工事をしているのだが、原因不明の落雷事故が多いという。
身元のはっきりしないわたしには、そのような仕事しかなかった。
住まいは、高台方面にあるボロアパートを借りた。
隣には豪華で階上の高いマンションがあり、そのお陰で日が当たらない。
1日中ジメッとしているが、その分家賃が安かった。
身体はボロボロだった。
夜間作業にかり出されたのだが、運搬物を運びだそうとしたときに落雷が堕ちた。
ために作業は中止となり、朝靄の中を帰ってきたという訳だった。
扉の前に物影が見えた。
「はて?、ゴミ袋は出していなかったはずだが‥‥‥‥」
近づいてみた。
「れ、麗子お嬢様!」
そこには、麗子お嬢様がトランクの上に両膝を抱えて腰掛けていた。
お嬢様は待つうちに疲れてしまったのか、眠っておられた。
わたしは暫し呆然と、お嬢様の寝顔を見ていた。
紛れもない、麗子お嬢様だった。
忘れようとしたお嬢様、否、忘れなければならないお嬢様だった。
はっと気づいたわたしはお嬢様を起こしにかかる。
暖かい季節とはいえ、朝は涼しすぎる。
「お嬢様、お嬢様」
「えっ?、わたし眠ってしまったのね」
寝ぼけ眼でわたしを見たが、わたしのアパートの前に居ることを一瞬忘れているようである。
「お嬢様、どうしてこんな所に居られるのですか?」
「なりぽし‥‥‥、帰ってきたのね」
立ち上がったお嬢様を見て驚いてしまった。
お腹が膨らんでいた。
「お父様に内緒で、定岡に調べてもらったの」
お嬢様はそう云われて、お茶をすすった。
お嬢様は部屋の中を見回したが、明らかに驚いている。
それはそうだろう。
あるのは布団と薬缶、あとはそれに付随する物くらいだから。
「お嬢様、そ、そのお腹は‥‥‥‥」
わたしが訊きたかった事を察したのだろう、お嬢様は、こくりと首を縦に振られた。
「お父様に云ったの。赤ちゃんは絶対に産むわって」
「旦那様は、お許しになられたのですか?」
「いいえ、黙ったまま、わたしの強情な性格を知っていたから。きっと里子に出す気でいたのだと思う」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「嫌だった。そんなことになるくらいなら、いっそのことと思い、手首にカミソリを当てたこともあったわ」
驚いたというものではなかった。
お嬢様であるあなたが、そのようなことをなさるとは。
「でも出来なかった。出来なかったのよ、あなたの子の生命を奪うなんてことは‥‥‥」
お嬢様の顔は涙でくれていた。
この時、わたしは思い出していた。
いずみ様に、あなたには友達が居ないのよ、と云われて、泣いていたお嬢様を。
そしてその時、わたしがお嬢様に云った言葉を。
お嬢様は心を抑えきれなくなったのか、わたしの胸に飛び込んで来られた。
「なりぽし! わたしもう家には戻らないわ」
その言葉にわたしは一瞬虚を突かれた。
「あなたと一緒に居る。居たいのよ」
わたしのことを、それほど想っていて下さったとは。
「お嬢様。世間はお嬢様が思うほど甘くはありません。お家に戻られた方が良いかと思います」
「なりぽしは、わたしが居ることが迷惑なの?」
「わたしにはなにもありません。アルバイトでその日を暮らしている身です。それでも宜しいのでしょうか?」
お嬢様の心を試しているつもりはなかった。
わたしはありのままを述べているのだ。
「なりぽし、わたしはあなたを愛しています」
「麗子お嬢様」
「イヤ、麗子と呼んで」
「麗子‥‥‥‥」
わたしは、麗子を抱きしめた。
「なりぽし、わたしを離さないでね。もうひとりきりはイヤ」
「離さない。もう離しません」
麗子を抱く両手に力が入った。
「麗子を忘れようとしたんです。でも忘れられませんでした。黙って引き下がったあの時の自分を呪って今日まで生きてきました」
「なりぽし‥‥‥‥‥‥」
「麗子とお腹の子を見捨てた卑怯者だと、自分を罵ってました。でも‥‥‥‥」
「なりぽし、泣いているの?」
「救われました。ありがとうございました」
麗子がわたしのアパートに来てから1ヶ月が過ぎた。
あれからわたしは危険なアルバイトをやめて、今は境町の名士である島津市長の運転手をしている。
ここのお嬢様である島津澪様は、かつての麗子を彷彿とさせる。普段の澪様は、麗子と似ていないのだが、有馬たくやと云う男の子の事になるとこうまで似るものかと苦笑してしまう。
きょうは、麗子とわたしの結婚式である。
境町の一角にある『お昼寝宮』と云う小さな結婚式場で式を挙げる。
境町に来て知り合った『すさん』と云う方のお陰だ。
『すさん』は、コンピューター・ソフト会社の社長であり、ここの経営者でもある。
『すさん』は良い意味で、片手間にここを経営している。
『お昼寝宮』の管理は『はわいこな』という日系3世の人に任せている。
ここ境町は、なぜかわたしたちのような訳ありの恋人たちが流れてくるらしい。
恋人の境を越えて夫婦になろうとしている人たちを、『すさん』は応援している。
そういう人たちに、出世払いで式場を提供している。
『すさん』は、結婚式は挙げるべきものと考えている。
知り合いの人たちに、わたしたち一緒に生きていきます、そう宣言する場であるから、式はけして自分たちだけのものではないと云う。
<だから、どんなに小さくても構わないから、式は必ず挙げなければならないのだ>
『すさん』の持論だ。
わたしは結婚式を挙げて良かったと思った。
多くはないが、わたしにも祝福してくれる仲間がいたのだ。
その中に、いずみ様と竜之介さんがいた。
一応知らせはしたが、麗子の結婚式に駆けつけてくれるとは思わなかった。
麗子のお腹は、明日にでも生まれるのでは?、というくらい大きかった。
大きなお腹で着られるウェディング・ドレスはさすがになかった。
だから純白のヴェールのみを麗子にあつらえた。
「お父様たち、やっぱり来てくれなかったわね」
寂しそうに麗子はつぶやいた。
実は式の2時間前に、旦那様とわたしは会った。
3日前に、麗子と結婚式を挙げることを定岡先輩を通じて旦那様に電話で告げた。
出席して欲しい旨を告げたのだが、旦那様は式の前にわたしと2人だけで会いたいと仰られた。
三角山でわたしたちは会った。
わたしは旦那様に詫びた。
旦那様は、面と向かってわたしに云われた。
<わたしは麗子を君にやるつもりはなかった>
<だが、あれは君を愛していると云いきった。誰に似て強情なんだか>
<まったく、子は親の悪いところばかり似るもんだな>
<新藤家の当主として、君と麗子を許すわけにはいかない。よって式には出席しない>
わたしは麗子のために、曲げて出席してくれるよう説得したのだが、だめだった。
<だが1人の親として、娘の門出は祝ってやりたい>
<このヴェールを使っては呉れぬか>
<なりぽし、娘をよろしく頼む>
旦那様はそう云って、去ってしまわれた。
「麗子。この純白のヴェールは旦那様からの贈り物なんだよ」
「えっ、 お父様からの?」
「ああ。わたしたちの事を許しては呉れなかった。けれど娘の門出は祝ってやりたいと云ってね」
「お父様も、強情ね」
「麗子も強情だよ」
わたしは思いっきり顔をしかめた。
麗子に抓られたのだが、その手の薬指は光っていた。
その時、いずみ様と竜之介さんがクラッカーを鳴らした。
「なりぽしさん、麗子、おめでとう」
わたしと麗子は、祝福されていることを感じた。

オールド・ハワイコナさんありがとうごさいます。
なりぽしは、うれしいです。
こんな素敵なお話にしていただいて。
「チチ戦争」の中でのセリフもあります。 麗子お嬢様の泣き叫ぶさまも・・・・・・・
ハワイコナさん、すさん、いずみに竜之介、みんなに祝福されての結婚式。
なによりのお祝いになりました。
「なりぽし、泣き虫でしょう。」
「今日は、いいんです。お嬢様。」
「麗子でしょう。 あなた。」

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